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ルッキズム批判が何を変えられるってんだ。

 昨今ルッキズムについて大きく取り上げられることが増えた。外見至上主義の撤廃を求める人々の声が大きくなってきたのだ。しかし、私はこれについて思うところがある。
 女にとっての外見というのは外見以上の意味を持っている。表立ったルッキズムが消えたところで、クラスで人気者なのは可愛い子だし、アイドルでセンターに立つのは可愛い子で、雑誌に取り上げられるのは「可愛すぎる〇〇」なことには変わらない。人間というのは本能で判断してしまうものだ。綺麗な可愛いものは、やっぱり目を惹く。話題になるのは優れたものばかりだ。醜いから無視されるというのは当然のことなのだ。ルッキズムがなくなったところで、醜い容姿がなくなるわけではなく、表面的になくなるだけ。話題に上がらないだけ。潜在的には残ったまま。同じ能力を持っていたとき、選ばれるのは美人の方。それが公表されないだけ。なーんにも変わらない。

 だって、世間にとっては美人じゃない人の大きな声よりも美人の小さな声の方が大事だから。

 私は決してルッキズムを肯定しているわけではない。男に生まれたらもうちょっと楽だったろうなくらいには思ってる。別に自分の見た目に納得いっていない部分なんてないが、全てが気にいっているわけでもない。でも、見た目通りの性格をいれて、見た目通りの服を身につけて、見た目通りの生活をしてる。可もなく不可もなく。もらったもので戦うしかないから。

 B専のイケメンがブスと結婚し続ければ、ブスが美人になる時代がいずれやってくる。ブスの見た目とその見た目が好きという傾向がセットで遺伝していくから。たしか、ランナウェイ説とかいってたっな。大学で習った。でも、そううまくはいかない。昔、ブラマヨの吉田さんがテレビで言ってた「2人足し合わせて10点でないと結婚できない」とかいうトンチキ政策を国が打ち出しでもしない限り、到底無理だ。

 イケメンの嫁は美人だし、ブスの旦那はブスだ。こればっかりは仕方ない。でも男の人にはある程度挽回の余地がある。だから多分ずるいんだ。美人の旦那がそうでもないことなんてざらにある。学歴だとか、職業だとか、財力だとか。少なくとも私は外見より自分より頭がいい相手で、嫌な男じゃなければいい。どちらかといえば女の方が減点方式で相手を見る傾向にあると思う。自分より頭がいいことが加点なのではなく、自分より頭が悪いことが減点、自分より稼げないことが減点、自分より能力が低いことが減点なのだ。
 合コンに向かう男が「今日の相手はCAらしいよ」「青山女子と付き合えたら」というのと、女が「今日は証券マンが相手だって〜」「東大生と飲むんだ〜」というのでは目的が違う。交際相手としての女には能力なんて求められてない。

 ここで政府がじゃあ「ブス手当て出します!」「ブス減税します!」って言っても納得しないだろ?求めてるのは平等な扱い、でもそれは無理。美人の方が優遇されていたとして、「あなたの方が劣っていたから、落としたまでです」と言われるのがオチだ。
 だから、ルッキズム批判に意味なんてない。解決策も打ち出せない。打開策もない。ばばあになればみんな顔なんておんなじになるんだから、それまで気長に待つしかないんだよ、なんてね。
 批判してる誰かも、その誰かを批判してる私も、結局みんな、外見至上主義のど真ん中に立ってる。

 この記事だけ跳ねて、炎上とかしたらやだな…。


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