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心のストッパーがノーモーションで外れる。

 自分でも驚いた。年々涙脆くなってる自覚はある。まだそんな歳じゃないと思うけど、傷ついた数だけ、傷つきやすくなってしまった。いつもえぐられるのが同じとこばかりだから、化膿して瘡蓋になる前に、何度もすり減らされてきた。多分、私は他人のストレスがそのまま自分のストレスになってしまう。怒っている人は嫌いだ。自分の感情を表に出しちゃう人も嫌いだ。思ったことがすぐ口から出る人も嫌いだ。とにかく、人とうまくやって行く気がない人が嫌いなのだ。

 なんで自分ばっかりと思ってしまう。自分だけが気を遣って、人に合わせて、生まれた歪みを誤魔化さなきゃいけないのかと思ってしまう。そんな自分も嫌いだ。他人のこと考えてない。自分だけなわけがない。みんなそう、大半の人は文句も言わずに黙々と頑張ってる。日記とかノートに吐き出さずとも、頑張ってる。なんで私はできないんだろう。本当に私のせいか?と問うてしまう。結局出る答えは、私があれをしなければ、これをもっと上手くしておけば、なんて結果論的なものばかり。こんな反省に意味なんてないんだろう。だって、出る答えはいつも同じ。改善できたことなんて一度もないんだから。

 多分、そんな自分に酔ってんだと思う。1人で抱え込んだフリすんのが好きなんだと思う。痛いよね。

 他人の不快に感じるところは、多少自分に重なる部分が多い。それに気づいたとき、ほんとに嫌になる。涙が止まらないのは、自分が悪いから。自分にもその性があるのを知ってるから。底知れない自分への嫌悪だ。


 まだまだ田舎でチヤホヤされてたい。浅はかな思考が止まらないなか、そろそろわたしもこの田舎を立たないといけない。

 これからは本当に1人なのだ。家族も、仲のいい友人もいない。また、新しい土地で、新しい関係を築いていかないと。嫌になっちゃうな、自分で選んだはずなのに。

 好きになってくれなくても別に良いから、好きなフリくらいさせてね。

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