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英語ができるようにならない...と思った時に思い出すこと

英語ができるようにならない、できるようにならないとひたすらに苦しむ中年であるが、自分の英語が向上しないと感じた時にきまって思い出すことがある。それは高校時代の同級生についてである。

高校1年生の時に隣の席に座っていたF君は、自分の名前をアルファベットで書けなかった。正確に言うと書けていると思っていたのに間違えていた。彼の名前には「ジ」と言う音が入っていたのだが、彼は「ji」とせず、「gi」と書いていた。その位に英語ができない人だった。彼とは高校卒業後、まったく連絡を取っていなかったのだが、会社員をしていた20代後半に偶然六本木の道端で彼と再会し、飲みに行くことになった。六本木という土地柄外国人が多いバーだった。カウンターで酒を注文し席に戻ると彼が外国人と話をしている。日本語が話せる外国人なのかなぁと思いながら近寄ってみると、なんとF君がとても流暢な英語を話している。F君の記憶は自分の名前もアルファベットで書けない英語のできない人で止まっていたので、本当に驚いた。本当に驚いた。おいおい、いつ英語なんて覚えたんだよ。と尋ねると、彼は高校卒業後アメリカに行って大学に進学したとのことだった。アメリカに行った当初は本当に皆が何言っているのかわからなくて大変だったよ。と笑いながら話す彼を見て、彼でも話せるようになったのだから、もしかして自分も英語が話せるようなるのかもと思ったことを鮮明に記憶している。(とても失礼な書き方になってしまっていているが、F君は社交的でスポーツのできるクラスの人気者で心底尊敬していた。がしかし、彼は本当に勉強ができなかった。)

話をさらに遡ると、僕は中学校1年生の時に意思疎通のために英語を学ぶということを諦めた。僕の通っていた公立中学は、外務省を含む国家公務員宿舎と某商社の社宅が校区にあったため帰国子女が多い学校だった。幼き頃を海外で過ごした彼ら彼女からすると学校の英語の授業なんて本当にどうでもいい簡単なものだった。(今から考えると自分よりも英語のできる生徒を教えていた英語の先生は本当にたまったものではなかっただろうなと思う。)それを必死になって勉強しなくてはいけない僕は彼ら彼女らを見て、いくら勉強したところで彼らに追いつくことはないとすぐに悟った。素で「CD」を「シーディー」ではなく「シィーディー」と発音してしまうような同級生の前で教科書を朗読しろとか拷問以外の何物でもなかった。彼ら彼女らの発音する英語を聞いて、僕が英語で話しかけたところで何を言ってるか相手は理解はできないだろうなと思ったことをよく覚えている。ということで、英語で意思疎通をするということさっさと諦め、英語はパズルだと思うように切り替えた。今はリスニングなども受験に必要になっているようだが、僕が受験した頃はリーディングさえできればいい。文法と単語を覚え、あとは論理展開を考えながらパズルを解くようにすれば高校・大学受験の英語は乗り越えられた。パズルとしての英語は比較的得意だった。ただ、どんなに偏差値があがったところで、英語を使って意思疎通がはかれるとは一度たりとも考えたことはなった。大学時代にひとりで海外旅行にちょこちょこと出かけていたので英語を使わないといけない機会もあった。しかし、13歳にして英語を諦めた僕の英語は伝わらないと決め込めこんでいたため、その場をジェスチャーとか絵とか数字とか非言語を駆使して切り抜けていた。

F君との再会はそんな僕にとって、英語学習の概念を変えてくれたできごととなった。もしかして、勉強や訓練すれば誰でもできるものなのかも知れないと思わせてくれたのは間違えなく彼のおかげである。英語を勉強していて伸びが実感できないときまって彼のことを思い出す。勉強嫌いの彼でもあんなに話せるようになったのだから、きっと僕も英語ができるようになるはずだ。いつか彼のように流暢な英語が話せるようになることを夢見ている。彼とは六本木の最下位から何回か会ったきり10年くらい会っていない。また酒を一緒に飲みたい。

ちなみに、F君と再会して2、3年後に僕は会社を辞め、何も勉強せずのままふらりとアメリカに1年ちょっと住むことにした。F君はアメリカに住んだだけで英語ができるようになったと思っていたからだ。アメリカ生活を経て、住んだだけでは英語ができるようにならないことがようやくわかった。F君もかなり勉強したんだろうなとアメリカでの生活を終えた頃にようやく気がついた。ということで、英語の勉強は続ける。

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