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ブギウギロスではなくブギウギレスと呼びたい理由

2023年10月から放送していた朝ドラ『ブギウギ』が終わった

SNSやネットニュースなどでは
「ブギウギロス」というワードが散見されている

いつからか
朝ドラが終わるたびに
この「〇〇ロス」が使われるようになった
(『あまちゃん』から?)

僕は以前からこれに違和感を抱いていた

ロス=LOSS
つまり
何かを失うということだ

朝ドラ以外にも「〇〇ロス」というワードはよく見かける

ペットロス
フードロス
チュロス
ハンマーブロスに黄金聖闘衣……などなど

今回僕はこの
「〇〇ロス」という言葉を
「〇〇レス」と言い換えて使うことを提案したい

ロス(LOSS)=失う
レス(LESS)=ない

なんかこっちのほうが
「しっくり」くる気がする

その理由を記していこうと思う

それでは証明スタートです

ーーー⇓本題⇓ーーー

常日頃から「朝ドラおじさん」を自称している僕ですが
月曜から金曜まで、起床後すぐに朝ドラを視聴し
その後3秒後には仕事をスタートさせるという
ルーティンのなかで生活していると

もはや朝ドラこそが一日の始まりであり
「朝ドラ観ようと思ったけど日曜じゃねえか!」
みたいな
「焦って飛び起きたけど学校休みだった」感覚を思い出せる
エモエモコンテンツでもあります(伝われ)

今回の『ブギウギ』は戦前から活躍する歌手
笠置シヅ子さんをモデルにして描かれた物語だった

ーーーーーーーーーー 中略 ーーーーーーーーーー
↑丁寧に書いてたらゴールが分からなくなったので
 思い切って全削除する勇気

ということで最終回についてだけ書くことにする

圧巻の最終回だった
趣里さん演じるヒロイン・福来スズ子が歌手引退を決意し
ラストコンサートにて「東京ブギウギ」を歌唱するというシーン

戦後の混乱期に
すべてを失ってしまった人々に
生きる活力を与えた歌「東京ブギウギ」

令和となった現代でも
歌い継がれている名曲
(クリアアサヒのCMとか)

本作のタイトルにもなっている
まさにキーとなる歌だ

ドラマでは(史実でもそうなんだけど)
この曲は最愛の人を病気で失ってしまった
ヒロインが
歌手復帰の第1弾として発表した楽曲だった

1930年代から日本でも演奏されていたスイングは
シャッフルのリズムを4拍子で刻むものだが
ブギはこれを8拍子にしたものだ

当時の人たちは今まで聞いたことのない
陽気なリズムと
明るい未来を想起させる歌詞に
心を躍らせたという

ヒロインを励ますつもりの楽曲が
それだけにとどまらず
日本中を励まし活気づけた名曲となってしまった

それを引退コンサートで歌う

まず注目したいのは
作曲家を演じた草彅剛の表情だった
めちゃくちゃ暗い
今にも泣きだしそうな顔をしている

それもそのはず
彼はヒロインと共に音楽を作ることがすべてだった人
ベストパ-トナーだったヒロインが歌手を辞める

その悲しみがあふれ出している

そしていつもとは違う
彼のピアノソロで曲がスタートする

テンポが抑えられた優しい旋律に乗せ
ゆっくりとヒロインが歌い始める

ふたりだけの音楽が流れる

会場にいる大勢の人たちも
それを静かに見守っている

ここで
ふと気が付いた

最終回のラストステージなのに

!!!これまでの回想シーンがない!!!

普通だったら
半年間のあれやこれやを
『東京ブギウギ』に乗せて振り返るようなシーンが
挿入されるのがお決まりなのに

回想シーンが流れない

でも
そんなものは必要なかった

歌を聴いているだけで
これまでの思い出が次々と現れては消える

ふたりだけで奏でる姿を観て
「ああ、ふたりが出会ったときもレッスン場で歌とピアノだけで練習してたよね」
というおよそ5か月前の記憶が鮮明に甦ってくる

回想シーンやセリフなど
本当に必要なかった

ふたりの感じていること、
考えていることを視聴者に伝えるためには
歌だけが
歌こそが一番優れた伝達手段のように感じた

そもそも
「回想シーンは?」
という疑問が浮かんだのも
観ていた僕自身が
自然とこれまでの物語をフラッシュバックしていたからだった

今作はヒロインが本当に不条理な不幸に襲われ続ける物語だった

史実として笠置シヅ子さんの体験をもとに描いているのが
嘘じゃないかと思えるくらいに辛く悲しい展開が多かった

育ての母の突然の病
可愛がっていた弟の戦死
子どもを出産した直後に知らされた最愛の人との永遠の別離

映画やドラマでは
悲しことがあった後には
必ず楽しいことがある

それがカタルシスを生み
「おもしろかった!」という感想につながるものだということは
これまでエンタメ作品を見たことがある人なら
だれでも知っていることだ

しかしながら
このドラマはそうならない
とにかく悲しいことが連続して降りかかってくる

そしてヒロインはその悲しみを「乗り越えない」
乗り越えずに
飲み込んで進んでいく

悲しいときは思いっきり泣くし
「悲しみを乗り越えて舞台に立つ」
というより
「悲しいまま舞台に立って、悲しいまま歌を歌う」(『大空の弟』が特にそうだった)

なんとも正直に「人間」を描いていると思う

『東京ブギウギ』の
「心ズキズキワクワク」というフレーズそのままに
悲しみと喜びが同時にやってくるドラマだった

楽しいときにも少しの切なさを
そして
悲しいときにも小さなユーモアを見せてくれた

個人的な話をすると
特に「楽しいけどちょっと切ない」というのは
僕が何か作品を作るときに(歌詞とかショートムービーとか)
昔からテーマにしているもので

WANI〇Aみたいなフルテンション陽キャノリに
嫌悪感を抱く者としては
そのわずかなスパイスに陰キャのプライドを込める
みたいな
まあ、クソみたいなこだわりなのだが(辛いので話を戻そう)

この作品はそのバランス感覚が絶妙だった

ラストステージで最高の歌を聴かせてくれるヒロインの姿に感動し、
登場人物たちと同じ顔でニコニコ笑ってしまう
草彅剛もいつの間にか全力の笑顔になっていて
音楽を楽しんでいるのが言葉なしで伝ってくる

でも
自然とこれまでの楽しい悲しい思い出がフラッシュバックしてきて
笑顔なんだけど涙が出てしまう

「感情がぐちゃぐちゃになる」とはこのことで
こんなエモエモドラマが午前8時から放送されているという事実に
ただただ驚嘆する

なかでも初登場から
「フン!その程度の歌しか歌えんサイヤ人などいらん!」
みたいな感じだった菊地凛子さん演じる茨田さんが(淡谷のり子さんがモデル)
観客席で涙を流していたのが一番泣けた
涙腺にギャリック砲を食らった気分だった
イバラーダ「勘違いするなよスズ子!」(すみません鳥山先生)

話がやや横道にそれましたが(やや?)

このドラマの最終回には
回想シーンも
死者の幻影も
セリフさえもいらなかった

なぜか

そんなものがなくても
歌を聴くだけで思い出せるのだ

まさに
これまでの素晴らしい物語が
我々の胸に刻まれている証拠だ

つまり
僕たちは『ブギウギ』という物語を「失うことにはならない」

毎朝の放送が「なくなる」だけ

ロス(LOSS)ではなく
レス(LESS)なのだ

ブギウギレスとなってしまう4月の朝

僕はきっとこう思うだろう

「虎に翼おもしれー!!!」


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