聖夜の贈り物
この記事は『富士葵ちゃんと振り返る Advent Calendar 2021』に寄稿しているものです。
今年も素晴らしい記事の数々が揃っています。
以下URLからぜひどうぞ。
URL→https://adventar.org/calendars/6432
メリークリスマス。
開幕いきなり気が滅入る一言だ。
世の大多数の人にとってはそんなこともないのだろうが、独り身からすると浮ついた街の雰囲気は少々こたえる。
今年もアドカレに立候補したのは良いものの、クリスマスまでに恋人が出来てしまって寄稿を辞退することになったら申し訳ないな、なんて特大の杞憂をかましながら今日この日を迎えたわけである。
ご覧いただいたらわかるように、今日の私は今年最大の暇をもてあましているわけで。
これはもう記事を書く以外にやることもない。
こんな記事が今年の〆だというのは、ここまでの素晴らしい記事の数々に対して申し訳ない気持ちもあるけれど、まあ私と同じく暇をもてあました方々に少しでも楽しんでもらえればと思う。
そう長くはならないはずなので、少々お付き合い願いたい。
せっかくのクリスマスだからサンタの話でもしようか。
流石にこれを読んでいる諸兄の中にサンタクロースの正体を知らない人はいないと思うが、もしおられるならこんな記事はさっさと閉じておやすみすることをおすすめする。
あんまり若い内からインターネットに入り浸ってるとろくなことないよ。
ただこの入り浸るという表現も、最近では適切でないらしい。
今の10代、いわゆるデジタルネイティブ世代にとってインターネットは現実の延長であるとか何とか。
私達の時代にはせいぜい隣町あたりが関の山だった人間関係はインターネットを通じて世界中へ広がり、相手の名前や顔を知らなくても友達として一緒に遊んだり交流が出来る、そんな時代になってきた。
ここは酷いインターネッツだから半年ROMってろと言い聞かされて育ってきた私達とは、そもそもの認識が異なるのだろう。
随分と話が横道に逸れてしまった。
何の話をしようとしていたかというと、サンタクロースである。
クリスマスの夜に世界中の子ども達へプレゼントを配って回る魔法のような存在。
サンタを一目見ようと夜更かしして怒られた経験がある、なんて人もいるのではないだろうか。
そんな風にサンタクロースを信じている子ども達も、成長していくにつれてサンタの正体が魔法でも何でもなく両親や家族であることを知っていく。
そうして大人になった私達は友人だったり恋人だったり、あるいはもう結婚した人はお子さんやお孫さんだったり、プレゼントを受け取る側から渡す側へと変わっていくのだ。
プレゼントを渡す側になった今、ふと思うことがある。
あなたは覚えているだろうか。
そしてこの先も、覚えていられるだろうか。
自分がもらったものについて思いをはせた時、いつ、どこで、誰にもらったかを完璧に思い出せるものはそれほど多くない。
あるいは大切なものであれば思い出せるけれど、その時の相手の言葉や表情がどんなものだったか、時が経つほどに思い出せなくなっていく。
それが形のないものであればなおさらだ。
そう、形のない贈り物も世の中には溢れている。
ある寒い冬の日、美しい歌をもらった。
雄大な自然の中、ピアノを弾きながら歌う少女のまっすぐな歌声は私の心へ染み渡った。
初夏の日差しが降り注ぐ中、嬉しい驚きをもらった。
お化粧をして、さらに一段と可愛さを増した少女は私の心を奪った。
初秋を迎えた渋谷で、言葉に出来ないほどの感動をもらった。
少女が夢を叶えた姿をその場で見届けられることが、この上ないほどの喜びだった。
季節は巡り、時は過ぎる。
この四年間、本当にたくさんのものを受け取った。
どれも素敵で大切な贈り物で、こうして思い出しているだけで人生に彩りを加えてくれる。
ただ、それでも。
どうしたって人は忘れてしまう生き物だ。
どんなに感動して、涙を流して、一生忘れないと誓ったとしても。
時が経てばその気持ちは薄らいで、色あせて、いつかはそう誓った事さえ忘れてしまうかもしれない。
私はそれが嫌だった。嫌で嫌でしょうがなかった。
時間という大きくて理不尽な力に流され、自分の感情の輪郭がぼやけていくのが許せなかった。
だから私は書くことにした。
へたくそでも、無茶苦茶でも、何も伝わらなくても。
それでも書き続けると決めた。
疲れた時にはそばを打ったりキュウリを切っている姿を見て癒しをもらった。
諦めそうになった時は、何度も何度もクラウンを目指して練習している姿を思い出した。
落ち込んだ時にはシンビジウムが深く優しく寄り添ってくれた。
寂しくなった時にはTwitterを見て、自分が一人じゃないことを思い出した。
あなたから、みんなから、数え切れないほどたくさんのものをもらった。
会ったことがなくても、画面の向こうからでも、この広大なインターネットの海で生まれた、奇跡のような関係の中で。
形のない贈り物たちが私の心を温かく彩っていく。
コンビニの新商品を買うようになった。
今まで聞いたことのないジャンルの歌を聞くようになった。
動画に出てきた場所へ出かけてみるようになった。
思いを言葉にして、誰かに伝えるようになった。
あなたのように、みんなのように、優しく誠実でありたいと願うようになった。
目には見えない、大切なこと。
決して忘れたくない思い。
たくさんの贈り物でできた自分自身を、全部ここに記していこう。
いつか見失ってしまった時にも、またここへ戻ってこられるように。
未来の自分への、聖夜の贈り物として。
さて、書き上がったはいいものの、これは果たしてアドカレの趣旨に沿っているのか、非常に迷うところではある。
しかもちゃっかりクリスマスの枠を押さえておいてこの体たらく。
もっとこう、ちゃんと愛とかを語った方が良かったんじゃないだろうか。
そんなことをウダウダ考えながらも、〆切は待ってくれないのでしょうがない。
せめてこうして書き散らした文章ではあるけれど、誰かの心へ届く贈り物になれば嬉しいと思う。
それではここらで失礼しよう。
諸君、メリークリスマス。
…この言葉も、そう悪いものではないかもしれない。
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