「忘年会スルー」とタテ社会

 「忘年会スルー」という新たな流行語が誕生した。

 忘年会といえば部長や課長が長々と挨拶し、やっと乾杯がすんだと思えば、こんどは上役に酌をしながら話に耳を傾けなければならない。酔いが回ってくると上役の話はだんだんと説教調になり、つまらない自慢話も増えてくる。そうした展開をイメージしただけで若者がスルーしたくなるのは当然だろう。

 ところが、ある意識調査よると中高年にも忘年会に参加したくないという人が若者と同じほどいるらしい。意外に思えるが、よく考えてみたらわからないでもない。渋々参加している若者の機嫌をとったり、気を遣ったりしなければならないのはけっこう辛い。また会費も多めに払わなければならないとか、二次会はおごらなければならないなどと考えたら、足が遠のくのも無理はない。

 では大多数が忘年会などないほうがいいと思っているのかというと、そうでもないようだ。ベンチャー企業やIT系企業では若手も喜んで参加していると聞くし、最近は若手が企画し、運営している姿もしばしば見られる。そこには冒頭のような古色蒼然たる空気はなく、本音のトークやサークルのようなノリで盛り上がっている。

 こうしてみると忘年会そのものが嫌われているのではなく、職場のタテ関係を持ち込むことが不人気の原因だとわかる。いうまでもなく歴史のある会社や役所など、上下関係や先輩と後輩の序列が厳格なところほどその傾向が強い。

 もっとも若者は上司や先輩とタテ関係のなかで飲むことを常に嫌がるかというと、必ずしもそうとはかぎらない。昔から若者が喜んでついて行く上司や先輩はいた。そもそも一緒に酒を飲みたいのは、飲んでいて楽しいか、ためになるかのどちらかだ。たとえ年が離れていても人間的な魅力のある人や、心から尊敬できる人なら喜んで同席するし、同年配でもつまらない人は敬遠される。

 しかし、私的な時間を削っても宴席を共にしたいほどの魅力を備えた人はそう多くない。また、だれでもそうなれるわけではない。だとしたら人間的魅力に自信の持てない管理職や先輩は、職場の上下関係を完全に捨ててフラットな形で振る舞うよう割り切ったらどうか。無理に若者の話題に合わせようとしなくても、同窓会や同期の集まりに参加するときのような自然体でよい。そして、それができるようになれば職場においても彼らとの距離は自ずと縮まるだろう。

 「忘年会スルー」は、これまで無自覚だった社員の「心離れ」が売り手市場の追い風を受けて表面化したものともいえる。これを奇貨として職場の風土改革に本腰を入れて取り組んでもらいたい。

 


「個人」の視点から組織、社会などについて感じたことを記しています。