叱られない子どもたちは幸せか?

今日はこどもの日。少子化に対する危機感もあって、今の子どもたちはとても大事に育てられている。まさに「子どもは宝」だ。

さらに最近は「ほめて育てる」教育が浸透する一方、DVや体罰、パワハラに対する社会の目が厳しさを増すなか、家庭でも、学校でも、地域でも子どもを叱らなくなった。

では、ほめられるばかりで叱られない子どもたちは幸せなのだろうか?

私が大学生に対して行った調査では、意外にも3分の1の学生が、過去を振り返り、他人から認められたり、社会的に評価されたりしたことがプレッシャーになったと答えている。親や教師からほめられていると、あるときから急に意欲が失せたとか、不登校になってしまったという体験談が驚くほど多く述べられていた(拙著『「承認欲求」の呪縛』新潮新書)。

教育関係者や不登校対策に携わっている人たちに話を聞くと、ほめる子育て、叱らない家庭・教育現場が広がった時期から、上記のような問題が顕在化してきたという。

叱られず、ほめられてばかりだと自分の能力や実績を客観的に知ることができない。だから子どもは自己効力感や有能感、すなわち自分の実力に対するほんとうの自信がもてない。しかも、ほめられてばかりだと、その期待を裏切ってはいけないという意識にとらわれ続ける。たとえていうなら、ずっと背伸びしながら歩き続けるようなものだ。

たしかに「背伸び」が成長につながる面はある。しかし、ときには屈伸しなければ疲れ切ってしまう。やがて背伸びする意欲もなくなるのが必定だ。

大事なのは正しいフィードバックである。ほめるという正のフィードバックだけでなく、負のフィードバックも必要だ。正と負の両方のフィードバックがあってはじめて自分の長所や実力、成長の度合などを正確に知ることができる。

とはいえ今の時代に「叱る」のは難しい。とくに「叱る」となると、そこに感情が入るので弊害もある。そこで私は「叱る」を「改善点を指摘する」に置き換えるよう提案している。幼い子や精神的成熟度が極端に低い子は別にして、たいていの子は叱らなくても、どこが、どのように問題で、どう改善すべきかを教えてやりさえすればよい。

「叱る」のをタブー視するだけで、それに代わる手段を講じることを怠るのは体のいい責任放棄である。

「個人」の視点から組織、社会などについて感じたことを記しています。