見出し画像

62歳でロシア語をはじめた!  62歳からのロシア語①


初老男の妄想と夢

 最初の一行目から、ニタニタ笑いながら書いている。今こうして原稿を書いている自分をビデオ映像で見たら、こっけいだと思うからである。

 今朝から東京では雨が降り続いている。窓に向かってマンション中庭を眺めながら、あれこれ書いているジイさんが、私だ。

 座っている椅子の左右の壁には、本棚が天井近くまで設置されており、少し傾いている。強い地震がきたらひとたまりもないだろう。

 ただ、4・2畳大の小部屋なので、椅子から立たなくても本や資料を手にできるのが便利だ。
 
 さて、なぜ私が自分をこっけいだと思うかというと、いい歳をして真面目にロシア語習得しよう集中しているからである。若いころはコツコツと何かを継続することが大の苦手だったからだ。

 今の自分は、本当に自分なのか?

 しかも、単にロシア語トレーニングをしているだけでなく、一定程度のレベルになったら、ロシア語をつかって実行したいことがある。それは何なのか今は語らないが、はっきり言うと「妄想」もしくは「夢」だ。

 年甲斐もないことを頭の中で想像し、妄想し、夢を見、熱中するのは悲劇でもあろう。それでも、できる限り挑戦しようとしているのは、哀れを通り越してこっけいでしかない。

 これが、自分自身の姿を「映像」でみた実感である。笑うしかない。

挫折につぐ挫折 私のロシア語歴

 能書きはともかく、今年2023年4月2日からロシア語を始めた。さかのぼること半年前だ。それは、изучать(学ぶ・勉強する)というより  тренироваться(訓練する)やупражняться(練習する)と表現したほうがいい。

 実は、1993年春、当時、東京の東中野にあったロシア語講座「マヤコフスキー学院」に通い出したことがある。

 だが、当時は週刊誌の記者をしていたこともあり、忙しくて通うことができず、10回も行かず挫折した。

 このロシア語講座で出会った人と結婚し、なんと二人でロシアに行ってしまったのである。1995年1月のことだった。

 モスクワ大学の外国人用ロシア語コースに入った。ところが、その3週間前から始まった第一次チェチェン戦争で私の運命が変わってしまった。

 モスクワの街角で偶然で出会った仏教僧侶(日本人・ウクライナ人・ロシア人)やチェチェン女性やロシア兵士の母親たちが、戦争のつづくチェチェンに平和行進をするというので、それに参加し、その旅を記録することにしたのである。

 これでまた、外国人ロシア語コースも挫折した。10回くらいは授業に出ただろうか?

 いわゆる語学教室での勉強は止めたといっても、周囲はロシア語環境なので、耳がだんだんロシア語になれてくる。それにつれて、自分ではしゃべれないが相手の言っていることが少しずつ分かってくるのが不思議である。

 悪いことに、平和行進に一緒に参加した当日の妻は、私よりロシア語が分かった。そこで、妻にたよってロシア人やチェチェンの現地の人々と交流することになってしまい、これでまたロシア語の習得が遅れることになる。

 こうしてそのときの体験をつづったのが、「カフカ―スの小さな国」(1997年小学館・絶版)で、2023年に「ロシア・チェチェン戦争の628日」(清談社Publico)https://www.hanmoto.com/bd/isbn/9784909979339として増補改訂版を出した。

 これは電子版もあるので、興味ある方はご笑覧ください。

 で、1996年末にはロシアを引き上げて帰国した。相変わらずまともにロシア語は勉強していなかった。

 とはいえその後も、ロシア・チェチェン・ウクライナというロシア語圏に何度か行っていたので、なんとなくロシア語には触れていた。

 それでも、3年、5年、10年・・・と、時が経つにつれてロシア語が遠のいていき、もともといい加減だったロシア語が、どんどん頭のなかから消えていった・・・。

 その私が、人生で初めてロシア語を勉強しようと思ったきっかけは、2022年2月24日のロシア軍によるウクライナ全面侵攻という歴史的事件だった。(つづく)





いただいたサポートは、記事をより充実させるため、また「自分と周囲と社会全体の幸せを増やす」という残りの人生の目的を達成するために使わせていただきます。