ゆうがたに鳴るユモレスク

花泥棒。
というと、なんだかエモい感じの言葉に聞こえる気もするんだけど普通に泥棒で犯罪なので、詩歌にするのはどうなのかなとこれまで何度か立ち止まったことがあった。
今日の短詩の風("X"上のイベント)ではじめて花泥棒という語をつかった短歌を発表したので、すこしそれに纏わることを書いておこうと思う。


わたしの中の花泥棒は花おばさんだ。

花おばさんというのはわたしが小学生のころ地元の、それも実家のマンションのベランダから見下ろせるくらいの近所に頻繁に出没していた、いわゆる"町の怪人"的な風変わりなおばさんのことだ。
花おばさんは近所の民家や公民館の花壇から花を盗んでは、それを川沿いの空き地に植えて自分の花壇を作っていた。
花をそのまま手づかみして歩いているその姿が当時はやっていた『ポストペット』にすこし似ていた。
(ポストペットとはメールの送受信をしてくれるペットを育成できるメールソフトで、ペットと仲良くなるとお花やお菓子を運んできてこちらにプレゼントしてくれることがあった)
ほぼ間違いなくこのおばさんのせいなのだろうが、うちの近所の公共施設の花壇には「花を盗らないで(泣いている花のイラストが添えられていた)」や「見ています あなたが花を盗むのを」や「それ、泥棒ですよ」といった看板がところどころに刺さっており、異様な雰囲気だった。

お花を盗んで自分の花壇を作っているおばさん、というとまあまあかわいらしいタイプの怪人に聞こえると思うのだけど(窃盗罪なのだが…)、このおばさんはもう一癖も二癖もある人で、まず腕の露出しているところには『耳なし芳一』のようにびっしりと文字が書かれていた。何と書いてあるかは誰も知らなかったので、わからず終いだが。

そしてなぜ近所じゅうの人がこのおばさんを知っていて、前述したようにわたしがマンションの一室から彼女をよく目撃していたのかというと、花おばさんは尋常じゃないほどの大声で常に怒号を上げているからだった。ひとりでずっとなにか(あるいは誰か)に怒り続けている。だから花おばさんの出没を近所じゅうの人がリアルタイムで認知することができた。
わたしの通っていた小学校の教師が、近所のスーパーで花おばさんに遭遇したときに目が合ってしまい「そこの女待てー!!」と追いかけられたという話はあまりにも有名で、だから誰も彼女には近づかなかった。その腕に隙間なく書かれていた文字の内容を誰も知らないのはこういう理由だ。

花おばさんを見かけていたのはわたしがちょうど小学生のころだったので、子どもたちの間ではほとんど怪談のような存在だった。ただ真剣に忌避しているというよりは、どちらかというと"愛すべき"みたいな文脈で語られていて、わたしの母なんかもおそらくそういう雰囲気のとらえ方をしていた。わたしが小さい子どもだったころはまだ、いまよりもずいぶん寛容で、とても無防備な時代だったと思う。

そんな花おばさんはいつの間にかいなくなった。中学生になったわたしは学校を早々にドロップアウトしてふらふらしていたので、これまで通り近所にいれば認識していたはずだけど。だから、本当にいなくなったのだと思う。


これはちょっと定かではないけど、まだ明るい夕方にいつもの空き地で花おばさんが包丁を持っているだかということで警官が数人来たのと、いつものように怒号を上げながら抵抗するおばさんをベランダから見た記憶がぼんやりとある。もしも正しい記憶なら、それがわたしのなかの花おばさんの最後なんだろうな。

人の顔や名前をすぐに忘れてしまうわたしでも、花おばさんの浅黒くて浮腫んだような肌やその顔つきをわりと鮮明に覚えている。それだけインパクトの強いひとで、ある種のトラウマみたいになっているのも確かだと思う。

「花泥棒」と書いたときに、もちろんこの強烈なおばさんのことを思った。花を盗られていた人にとっては堪ったもんじゃないだろうし、不謹慎だという気持ちもあるのだけど、わたし個人はおばさんがどこかでしずかに、穏やかにやっていることを願っていたし、それは今でも変わっていない。


昨年すこし地元に帰っていたときに、うちの近所はおばあちゃんと軽自動車の多い町だなと思った。
公民館の花壇には花がほとんどなくて、看板は数枚立っていたけど雨などのせいなのか日焼けのせいなのか、文字も絵も薄くなっていて何がかいてあるのかひとつもわからなかった。


花を愛ずるひとは去りゆき花泥棒だけがしずかに春を想った

ゆうがたに鳴るユモレスクどちらかは残るのどんなふたりぐみでも
/湯島はじめ

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