「経済評論家」という仕事

 「経済評論家」を自称し始めて約20年になる。金融や経済に関する著述、出演などの仕事が増えたので、肩書きが必要になった。金融機関のエコノミストやアナリスト職ではないし、学者でも、作家でもない。説明が必要になるような個性的な肩書きを名乗るのは自意識がこそばゆい。発信内容に幅を持たせることができるのでこれが無難だと思った。だが、大いに満足だった訳でもない。

  世間的に、「評論家」という言葉はイメージが良くない。「あの人は評論家だ」という評は、言葉だけで行動しない人や発言に重みのない人に与えられる。
  その通りなのだ。評論家に行動を求めるのはお門違いだし、文献やデータの専門家でもなければ、一次情報の収集者でもない。評論家が提供するのは「論」だけだ。正しくて、他人が気づきにくかったり、言いにくかったりする「論」を、なるべくスピーディーに、できればチャーミングな辛辣さと共に伝えられたら、それでいいではないか。

 経済評論家の名刺を作ってから、私に直接、評論家の無意味を語ってくれた印象的な人物が2人いる。
 一人目は、バブル崩壊後の不良債権処理で竹中平蔵氏のブレーンとして名を馳せ、日本振興銀行を作った木村剛さんだ。彼とは、TV番組の出演、対談などで一緒になる機会が多かった。彼が作ったフィナンシャル倶楽部という会員組織では、私は何度も講師を務めたことがある。私の側では友達だと思っている。
 日本振興銀行を作って注目を浴びていた時だったと思う。彼は、私にこう言った。「日本に評論家はもういらないんです。正しいことは、行動して示さないと」。日本には中小企業向けの金融が必要であり、且つミドルリスク・ミドルリターンのビジネスチャンスがあることを証明してみせるのだと意気込んでいた。
 「評論家はいらない。確かにね」とその時私の心はほぼ同意した。ただ、木村さんこそ評論家に向いている人なのになあ、とも同時に思った。
 もう一人は、ジャーナリストの上杉隆さんだ。ある会合の後の懇親会で、私に正対してにこやかに、「米国では一次情報を集める人はジャーナリストとして尊敬されるし、学問を積み重ねる学者も同様です。意見を言うだけの人はコメンテーターと言われて、重んじられる存在ではないんですよ」と仰った。私を非難する意識は全く感じられなくて、上杉さんがジャーナリストという職業に対する強い思いを吐露したものだと受け止めた。「はい。その通りでいいと思います」と笑顔で答えを返した。確かに、評論家なんぞが、権威を持って重んじられるようではヤバイ。
 木村さんは、その後日本振興銀行が破綻しその際のもろもろで逮捕されて有罪判決を受けて世間から消えた。振興銀行の経営の傾きに連動して人が離れていった様子を私は近くで見ていた。上杉さんは、なぜか定かに分からないのだがマスコミ業界に敵の多い人で、彼とは付き合わない方がいいという忠告を私は複数の人から何度も受けている。
 職業的なリスク管理の観点からは、お二人に対する共感は示さない方がいいのかも知れないのだが、お二人との直接の関わりにあって、私は裏切られたり嫌な思いをしたりしたことは一度もない。他方、お二人から得た、知識や経験の恩はある。こうした方との人間関係は変えないのが私の流儀だ。
 特に、木村剛さんについては、また別の機会に思うところを書いてみたい。一つテーマを予告しておこう。金融業でミドルリスク・ミドルリターンのビジネスは成立すると思いますか?

 評論家は、国家資格で国に干渉されることがない。つまらない権威付けをビジネスに仕立てる「○○協会」のような家元組織からも無縁で爽やかだ。
 ただ、正直に言って職業的なコンプレックスが全く無いわけではない。評論家は、政治家、経営者、作家などが、世の中に変化をもたらしてくれないと論じる対象が無い。「論」は何かに付随してはじめて論述として意味をなす。職業的に、二次的、副次的存在であることが否めない。
 因みに、職業として一切コンプレックスを覚えず仲間意識に近い親近感を持つのはコンサルタントだ。当節流行のDXのコンサルティングは高給派遣労働のようで全く風情が無いが、伝統的な戦略コンサルタントは「誠意あるハッタリ」を堂々と売る姿に共感を覚える。加えて、彼らの値付けの度胸には学ぶべき点があるかも知れない。
 世間の人を見るに、政治家を偉いと思う人、経営者を崇め奉る人、作家などのクリエーターや表現者を過剰に評価する人の3タイプがあるように思う。どうやら、私は3番目のタイプのようだ。自分で世界を作れる作家は評論家よりも偉いのではないかと、何となく思う。つまらぬ作品でも小説を一つ出版すると「作家」と名乗れて気持ちがいいのではないかと想像する。
 職業に貴賎は無い!と力むのは正しいが、自分の職業に多少のコンプレックスを持つのも悪いことではない。コンプレックスは、その人の人格が持つ固有の影だ。多少の陰影がある方が人間は味わいがある。
 職業に対する誇りは、こっそり持てばいい。「経済評論家」は私にとってそんな仕事だ。

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