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20代の頃には想像もできなかった「今」を生きている

20代の頃、私は効率よく仕事をしようと思っていました。

脈を診て、からだに触れて、鍼を打って、またからだを診て、脈を診てお終い…って具合に、ポン、ポン、ポンとテンポよく、一時間に何人診ることができるか?を考えたり、どうしたら、もっと一人の人に時間をかけずに診られるかばかりを考えていたんです。

60分マッサージをするなんてばかばかしい、私には人が60分ですることを、10分あればできると思っていました。

30代になって、働き方が変わってきたんです。

30代も半ばを過ぎた今、私は、一人の人に、どれだけ向き合えるかを考えている自分がいるのです。

鍼やお灸を使って、10分あれば変化させることができる場所を、60分じっくりと時間をかけて、それこそ手間と暇をかけて、からだに馴染ませるように診ている私がいるんです。

リラクゼーションなんて考えず、誰にも治せない症状を治すんだ!と意気込んでいた20代の私。

30代半ばの私は、リラクゼーションも大切なのだから、効率なんて考えず、目の前の人のペースで、からだを診ていこうと思っている。

人が変わったのかなぁ…中身がガラッと、入れ替わった気がするんです。

20代の頃、仕事を優先させるあまり、たとえ、子どもたちとどこかに遊びに行く約束があっても、予約が急に入ったら、予定をキャンセルしてまで、仕事をしていました。

今を思えば、馬鹿だったなぁと思うんです。

20代の前半、私は奈良に鍼修行に行ったんです。三年間。

三年間、あまり稼がなかったという負い目もあって、仕事が忙しくなったら、目の前の仕事のこと、どれだけお金を稼ぐかを考えていたんですね。

鍼灸の勉強だけではなく、経営の勉強として、どうしたらお金を稼ぐことができるのか?何かに取り憑かれたように本を読んでいました。

特に、日本マクドナルド創始者の、藤田田さんの本はたくさん読みました。

勉強用のノートをつくって、毎日ノートに藤田田語録を書いていたんです。

とにかく、お金を稼ぎたかった。

自分のつくった組織をフランチャイズ化して、どうやって大きくしたらいいのかを考えていました。

若かったんだなぁ…

奈良での修行が終わって、帰ってきてから、たくさんの人が来てくれるようになったんですね。

看板のない鍼灸院で、駅からも遠いし、場所もわかりにくところで開業していました。

でもですね、すぐに流行ったんです。お蔭様で。

今でも、開業当初から来続けてくれている方がいます。ありがたい。

看板のない鍼灸院でここまで来てくれるんだから、東京に出店して、たくさんお金を稼ごうと思いました。

東京は、府中に開業しました。理由は、降りた瞬間に、ここで開業すると思ったから。

ただそれだけ。

府中に「大國魂神社」という、大きな、荘厳な神社があったので、名前は大國魂神社からとりました。

医薬の神様である、大国主神が祀ってある神社。

大きな国の魂だし、これ以上大きな名前なんてつけようがないと思い、即決定。

保健所へ行くと、「大國魂は、もしかしたら、商標登録されているかもしれないので、一度、大國魂神社さんに確認してから、再度名前を検討しなくてはいけないかもしれません…」と言われ、大國魂神社にその場で電話をかけたんです。

すると、今まで、大國魂と名前をつけたところはないと…会議をするので、会議の決定次第で、使えるかどうかを検討していただく、ということになったんです…

会議当日、緊張したんです。

決定の電話がきて、許可が下りたと連絡をいただきました。

「おおくにたま鍼灸院」が誕生しました。

他県で開業していて、前に開業したところから、60分離れていたので、最初の患者さんはなかなかこず…

でもですね、私、毎日ブログを書いていたんです。開業する前から。

開業してすぐに、人気ブログランキングという、ランキングサイトに登録して、登録して三日ほどで、鍼灸部門の一位になりました。

開業する前からブログを書いていたので、過去からの集積もあるかもしれませんが、以後三年間、ずっと鍼灸部門のランキング一位だったんです。

開業三ヶ月くらいには読者数もかなり増え、高尾駅のホームで電車を待っているとき、「三上先生ですよね?いつもブログ見ています。頑張ってください」と、知らない人に、声をかけてもらえるようになっていました。

開業して三ヶ月経った頃にはお店も軌道に乗り始め、鍼灸院の稼ぎだけで生活できるようになったんです。

おおくにたま鍼灸院を開業してから、ずっと来続けてくれていただいている人もたくさんいらっしゃいます。

今、国立へ移転してからも、たくさんの人が来てくれている。本当にありがたい。

府中では、一時間に四人まで診ることができる鍼灸院のつくりだったのですが、移転した国立では、一時間に一人しか診ていません。

二人一緒に、家族やお友だちと来院される方がいますが、それぞれに一時間くらいかけます。

一人に、時間をかけたいから。

府中では、一時間に、無理矢理、六人診たこともあるのですが、国立では、ゆったりと時間をかけて、からだを診させていただいています。

移転と同時に、やり方も変えました。

私が望んだ世界を、形にしたんです。

そして、移転する前から値上げをしたり、今までお昼休みを取らないで診ていたのですが、お昼休みを12時から14時まで取るようにしたんです。

あっ!府中で開院していた時、コロナ前まで、私、一年に360日くらい働いていていました。

コロナ禍、来院する人が少なくなったとき、自分の中にあった何かが崩壊して、もう、鍼灸師を辞めようと思ったんです。

カフェを作ろうと思い、お菓子作りを始めたんです。あと、料理も自分でつくるようになりました。

理由は、「人が集まるところには、美味しい食べものがある」と思ったから。

本気で転職しようと思い、毎日、メニューの開発をしたんです。

…が、ゲッターズ飯田さんの占いの本を読んだら「カフェの店員にはなるな」って書いてあったんです。

私、これはなんかのお告げだと思いました。

鍼灸師として、もう一度がんばろうと思ったんです。

ただですね、私、崩壊していたんですよ。

毎日、死のうって思っていて、夜中になると、涙がなぜか止まらなくなって、泣き崩れるようになっていたんです。

ある日、娘がいつの間にか背中をさすってくれていて「大丈夫?」ってなぐさめてくれたんです。

その時ハッとして、あぁ、自分は弱っていたんだと気づいたんです。

なんというか、辛いとかもわからず、なんで涙が止まらないんだろうと思っていたんですね。

なんで?ということがわからないくらい、こころが崩壊していたのかもしれません。

思えば、道を歩きながら「死にたい、死にたい、死にたい…」って思っていたら、いつの間にか大きな声を出していて、たくさんの人に振り向かれた経験もあったなぁ…

人ってですね、当たり前のレベルが下がると、自分が辛いのだということもわからなくなるのですよ。

家から一歩も出られなくなった経験もあるので、こころが弱った人の気持ち、私はわかります。

セルフケアなんて、本当に弱っている時にはできないんですよ。

自愛なんて考えられないし、音楽だって聞けないんです。疲れるから。

…私、よく、「先生は悩みとかなくていいですよね。順風満帆な人生じゃないですか」と言われる方ですが、これでいて、悩みは尽きないし、結構人から言われたことで落ち込むタイプです。弱いですよ。人と同じじゃダメですか?

私だって人なんだけれどなぁ…

なんだかんだあって、私、土曜日を休みにしたんです。定休日をつくりました。

そして、定休日にどうしても診て欲しいという人を断るようにしました。

私にとって、誰かを断るって、めちゃくちゃ勇気がいることなんですよ。

だって「辛いです…助けてください…」という方を断るのですから…

最初、断れなかったんですね…結局休みの日も、朝から晩まで人を診続ける生活が続きました。

ある日、また立てなくなったんです。

なんか、自分を大切にできていないように思えて、自分に申し訳なくなりました。

自分の内側から急に、「誰かを蹴落としてでも、自分を幸せにしたい」という想いがあふれてきて、しっかり定休日は休もうと決意したんです。

…が、時に自分を置き去りにします。

国立へ移転して、お昼休みをつくったのですが、お昼休みを返上して人を診ていることもまだ多いです。

前よりは、だいぶ、自分を、自分の時間を大切にできるようになりました。

私、予約を断りますよ。自分との約束なので。私との約束なんですよ。

休むことも仕事だと思っています。

ダメですかね?何か私、悪いことでもしましたかね?ねぇ?

私は、私のことを大切にしてくれる人のことが診たい。全力を尽くして診ます。私に全力を尽くさせてください。なんのわだかまりもなく、私は、あなたのために、私の命を燃やしたいんです。

中途半端に仕事をしたくないので、遅れてきて、「少しでもいいので、診てください」と言われても断りますよ。バッチリ断ります。期待しないでくれますか?

…文章を書いたらスッキリしてきました。

なんか、もやもやがたまっていたんですよ。うっぷんってやつですかね。鬱憤。

20代の頃には、想像もできなかった「今」を生きているという話でした。

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