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私の看護観

コタツに入り、テレビを横目で見つめながら、お菓子食べて、ダラダラする。






とことん自堕落にる私の好きな時間。
部屋に夕陽の影がうつると、焦る時間。笑





急に画面いっぱいに、ガンジス川で死んでいる人の写真が映る。ん?

次に、犬に食われている人の足。ん?

私の看護観にピッタリだ。まさにこれだ。





20歳の看護学生の頃
初めて他人の死を見た。







24時間点滴が繋がれていて、自分で寝返りも出来ない。小柄な可愛いおばぁちゃんだった。




亡くなった時、広い病室で1人だった。
家族は来ていなかったと思う。





可哀想だと思ったし
人の死が怖かった。
始めて他人の死に泣いた。






看護学生3年目
自分の看護観を論文に書いた。
ふと思い出したのは、あの時のおばあちゃんは、どんな人で、どんな人生を生きて、亡くなったのか。…何も知らないくせに可哀想だと泣いてしまった。




私は、何かしたいと思っていたのか。
何をしてあげられるのが看護師なんだろうか。





生きるって何だろう。
ベッドの上で1日中、天井だけを見つめて死を待つことが生きることなのか?





点滴で身体が浮腫んで
上がっていく心拍数が
徐々に徐々に消えていく。





准看護師1年目
心電図の線が真っ直ぐになっていく瞬間を
画面で初めて見た日。




病室で心臓マッサージをしている。
押すたびにピコンと線が上がる。
やめると一直線に戻っていく。





これが死ぬことなんだ。
なんだか寂しくて、冷たいと思った。





死って悲しいものでなきゃいけないのかな?
死にゆく人は、みんな可哀想な人なのか。






ガンジス川で亡くなっている
その人の顔に生き様を感じた。






死に方に執着しない生き様。
自由な死に方に自由な生き方を感じた。





なぜか不幸にも感じない。
微笑んでいるようにも見える。
俺は生き抜いた…!!!!!
自然に、ただただ戻っていくような瞬間。






死ぬまで
どのように "生きるか"





生きている時間を
その人らしく
その人なりに
自由に
あたたかく
生き抜くことを
支える看護師になりたい。




これが私の看護観だったと
再認識することができた日だった。


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