創作エッセイ(66)名古屋コミティア64と同人活動について


3/23 名古屋国際会議場 イベントホールにて

 先日、名古屋コミティアに行った。今回も大賑わいだ。ブース参加者も多く、友人はコミック部門で申し込んだけど抽選に外れたとこぼしていた。
印象的だったのは、高校・大学などのサークル参加者たち。こんな機会があるのなら、俺も在学中にサークル活動とかしたのになあとしみじみ思った。

孤独だった創作趣味

 私が物語を作ることに目覚めたのは1974年の高校二年である。本来なら受験勉強に精を出す頃なのだが、ケント紙にインクで絵を描き始めてしまった。当然、親に隠れての趣味である。両親とも教員だった我が家は、今の言葉で言えば教育ハラスメント的なものがあったのである。
 大学は県内の私大。親は国公立以外の大学なら県内しか許さん、というタイプだった。マンガ研究会もなく、自暴自棄だった私は少林寺拳法部へ入ってしまい。体育会の四年を送ることになる。
 大学二年時に、「ぱふ」という雑誌の選外佳作というコーナーに名前が出て、博多と横浜の同人誌から誘いがあった。しかし、いかんせん遠すぎる。
 大学四年のとき、ようやく誕生していたマンガ研究会の同人誌に一遍だけ作品を掲載してもらったのが学生時代の数少ない創作同人活動だった。

修業仲間と出会う

 23歳から小説に転向した。会社員をしながらの小説修業で、25歳で広告会社に転職した。27歳の時に、広告の仕事で出入りしていたタウン誌の編集部で同じように小説を書いているO君と出会った。初めてリアルな創作仲間ができたのだ。
 小説創作は孤独な作業である。自分と同じように物語を考え誰かに話したい、そんな人間と出会うのは奇跡のように思えた。ほぼ隔日で、喫茶店で作品アイデアを話し合ったのは、放課後のクラブ活動的だった。

インターネットがつなぐ

 90年代の後半、インターネットの商用利用開始で、まず飛びついたのは、企業でも行政でもなく、作品発表の場を探していた素人物書きたちだった。仲間のO君に教えられ、初めて自分の作品サイトを立ち上げたのが97年の1月だった。ブラウザはIE0.2。当時のネット仲間とは今でも連絡がある(ネット経由だけど)

ファン活動が創作者のすそ野を広げている

 コミティア名古屋には過去二回、ブース参加している。一回は個人で、もう一回は当時やっていたサイタ「小説指南」の生徒さんたちと参加した。
 参加したことで、創作に情熱燃やしてる私らは、決して一人ぼっちじゃないんだ、という刺激をいただいた。
 よく、負けられない、という気持ちを表明する方がいるが、若いころ一人で修行していた私にとっては、同じ夢に燃えている連中は、競争相手というよりは同志に近い。
 これからも続けていきたいと思う。
(追記)
今年も上期の六月にさる自治体で小説創作講座やることになりました。
詳細は、年度明けにご報告します。
 

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