創作エッセイ(28)原稿を修正する必要性とは

小説執筆時の気づきのメモ。

間違いではないけど修正することがある

 通常、原稿を修正する場合は、文章がおかしい、語り口が固い、説明が多すぎる、冗長な描写が多すぎる、などいろいろな場合があるが、それだけではない場合もある。

一本調子の回避

 一本調子とは、「単調」なことである。延々と続く会話、延々と続く地の文による解説などがこれに当たる。そこで、会話と説明の切り替えや、場所やキャラの変更などをして単調さを回避するのである。

読者に寄り添う

 これはもう例文を挙げることにする。現在書いている長編小説の一部である。読み返して、「読者に通じないな」と思って加筆した例。

 ここでは、米国のエージェントが日本の重要人物に接触した中国の工作員の話をしながら、1972年当時の米ソと中国の日本社会でのイメージを読者に伝えるシーンである。
例)
「でも、よく如月が会ったなあ。俺たちでも滅多に会えないのに」
「パンダ効果ってやつね」
 日中国交正常化を記念して、今月末には上野動物園に二頭のパンダ、カンカンとランランがやってくることになっていた。
「それに引き換え、我々米国は、世界中でヴィラン(悪役レスラー)になってるわ」

修正後)
「でも、よく如月が会ったなあ。俺たちでも滅多に会えないのに」
「中国の微笑み戦略が効いてるんじゃない? 日本中で中国への好感度がアップしてる」
「パンダ効果か」
 日中国交正常化を記念して、今月末には上野動物園に二頭のパンダ、カンカンとランランがやってくることになっていた。
「戦後生まれのインテリは、蒋介石より毛沢東を英雄視してるしなあ」とコリンズが苦笑いした。
「それに引き換え、我々米国は、世界中でヴィラン(悪役レスラー)になってるわ」

(修正の狙い)
1972年当時の米中ソ三国のパワーバランスや、日本社会の対中国意識など。2023年の若い世代には通じないかもと気づいて具体的に加筆した。
--
 説明過多かと思って書き飛ばした部分を加筆したわけである。

読者に伝わることこそが重要

 やや説明的な台詞ではあるが、読者の心に「どうして?」という疑問が浮かばないことが重要である。
 実は、私は日常生活でもしばしばそういうことが起きる。自分の熟知していることやモノに関しては「一を聞いて十を知る」ような会話をしてしまい、「どうして、」と聞き返されたりする。そこで、「かくかくしかじかだから~なんだよ」というと、「あれだけで、そんなことまでわかるのはあなただけだ」と言われるのである。
 この「言葉足らず」現象、日常なら聞き返せばいいのだが、小説の場合は「?」となったところで本を置かれてしまう。
 まさに、小説を書くとは、読者に対して語りかけることなのだ。わかるように書こうじゃないか。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?