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はじめの生い立ち⑧⑨大学受験と大学時代

進路と受験

大学受験の時、本当はお箏の道に進みたかったです。
でも当時、私には祖父が経営していた会社に入ることを、周囲にとても期待されていました。

その2つの道で、とても悩みました。

その中で、母の「受験して大学に行って、東京の先生にお箏を習えばいいよね」という折衷案に妙に納得して、一般の大学受験をすることを選びました。

でも、高校3年間ほとんど勉強らしい勉強をしていなかったので、大学に受かる訳がありません。

で、高校卒業と同時に東京に出て、予備校生活がスタート。

中野新橋という駅の近くに住み、お茶の水の駿台予備学校に通いました。

当時中野新橋には藤島部屋があり、若貴時代の全盛期!
若貴のプライベートシーンなどもよく見かけました。

また、地下鉄サリン事件も発生し、その日は偶々休みでしたが、いつも通りに出かけていたら、私もやばかったです。

群馬から東京へ行くと、誘惑がいっぱい!
そんなこんなで2年かかり、立教大学に進学しました。
この浪人期間の勉強が、塾講師のバイトに役立ちました。

大学生活

大学時代は、お箏・バイト・車に明け暮れていました。

バイトは、家庭教師と塾の講師。これは車に費やすお金を稼ぐためでした。
人より時間をかけて大学に入ったので、けっこう頭の中は整理されいて、順調な講師デビュー。

車は、高校時代から毎月自動車雑誌を数冊読み続けていたので、大学に入ってすぐに免許を取得。

そして、MG-Fという車を購入。
2シーターのオープンカーです。当時徐々に出始めの、残価設定ローンを使いました。

この車は、自分でオイル交換などもしていましたし、いろいろと車のことを学ばせてくれました。

また、車のサークルにも参加し、いろいろな世代の人と車を通じて一緒に遊んだことや、車の雑誌に出たことも今となっては思い出です。

そんな車に三味線やお箏を積んでいたこともありました。
そのことを知っている人には、いまでも「あんなことするのは、世界中ではじめ君だけだよ!」とからかわれます。

あとは、1年間だけテニスのサークルに入り、勉強はぼちぼち。
家は埼玉県でしたが、都内で動き回っていて、都内の道を大分覚えました。

次回は、大学時代のお稽古などのことをお話しいたします。


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