見出し画像

映画『ギルバート・グレイプ(原題:What's Eating Gilbert Grape)』

切ない。あまりにも切ない。

映画『ギルバート・グレイプ(原題:What's Eating Gilbert Grape)』は、現在では社会問題として取り上げられることも多い、ヤングケアラーの存在に、シンプルでありながら奥行きのある脚本によって、真正面から向き合った本格的な映像作品。

端的に言って、名作です。

レオナルド・ディカプリオが知的障害のある18歳の少年を演じて、その天才的な才能を絶賛されたことは知っていたので、いつか観てみたいと思っていたのだが、実は、この映画にはもう一人の天才がいた。

それが、主役のギルバート・グレイプを演じるジョニー・デップ。

あまりにも爽やかな好青年でありながら、極めて抑制の効いた演技で、自分の身近な人たちを献身的に支える主人公を見事に演じている。

間違いなく、この二人にとって、長い役者のしてのキャリアの中でも、最高傑作だと言っていい。

主人公を取り巻くのは、生まれながらの知的障害のために、医師からはいつ死んでもおかしくないと宣告されている弟、突然の首吊り自殺によって夫を失ったショックから過食依存となり、自分では身体を動かすこともできないほど肥満した母親、そんな二人を中心とした家族全体を支える役割を、当然のように主人公に求め、頼りにしている姉と妹。さらには、勤務先の食料品店の顧客で、彼を自らの欲望の道具として消費している近隣の人妻。

ギルバート・グレイプの心の中には、これらの人々の幸福を願う気持ちが自然と備わっているのだが、唯一、彼の心に欠如しているのが、彼自身の幸福を望む気持ちだ。

そんな彼の生き方が、あまりにも切なくて、映画を観ながら、何度も何度も、「もっと自由に、自由になれ。何もかも投げ出して、自由になれ!」と、叫びたい気持ちになる。

そんな彼の心に、新らたな風を吹き込むのが、母親の運転する車でトレーラーハウスを引いてやって来た、心優しく自由な気風の娘。そこに希望の一端が見えるのだが、その後は、ネタバレになるので、省略。

ただ、この主人公をめぐる物語は、その最終盤になって、誰もが予想しなかったような急展開を遂げるので、未見の方は、自分の目で確かめて欲しい。

ちなみに、最近、この作品と同様、かつての名作をシリーズ化して上映する劇場が増えている。

TOHOシネマズなどの大手シネコンでは、午前十時の映画祭が何年前から継続しているが、小規模な単館系の映画館でも、新宿武蔵野館が向こう1年に渡って月替わりで名作を上映する予定だし、シネマート新宿のTCGグループでも、現在、ウォン・カーウァイ作品を5本、期限を決めずに特集上映している。

名画座が姿を消して久しいが、歴代の名作を劇場で観たいという要求が、若い世代の観客にも広く存在することが、こうした作品の客席を埋める客層からも明らかに見て取れる。

私の専門の技術史的な観点からすれば、ネット配信、DVD、ビデオといった、新たな技術に基づく映画鑑賞が、それ以前から存在する劇場における映画鑑賞を、必ずしも代替し、駆逐するものではないということが、こんなところからも明らかになっている。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?