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#33 自分が変わり者であること


最近、あることを心がけただけで精神的にとても楽になったことがある。


それは
"自分をまともな人間だと思わないこと"である。


この考えは開き直っているとかでもなければ
ひねくれているわけでもない。
本当のことを真面目に思っているにすぎない。

もう1つ付け加えるとするならば、周りのことも変わり者だと思ったほうがいい。



では具体的に何が楽になったかというと
1番は、人間関係だ。

まず、他人に期待をしなくなる。

ちょっとしたいざこざがあったとして
「まああの人も変わってるしなぁ」
「そういう自分はもっと変わり者だからなぁ」
と割り切ることができる。


この世の中には努力ではどうにもならないことが存在する。

それは、"他人をコントロールしようとすること"
であり、結局自分がどう思い込むかが全てだ。



私は、自分が変わり者であることを誇りに思っている。

「どこにでもいそうだね」と言われるよりも
「変わってるね」と言われる方が嬉しい。
「ぶっとんでるね。」と言われたらもっと嬉しい。

「目尻シワシワだね」
あ、これは嬉しくねえわ(´・ω・`)


それが正しいかそうでないかは置いといて
そう思う方が楽しいし、なにより楽なのだ。

そんな私だが、学生の頃は自分が変わり者であることを受け入れられなかった。

大学生の時に友人から居酒屋で怒られた時に初めて実感した。

「お前、自分のこと普通やと思ってるやろ?」

その時は自分が普通であることを信じて疑わなかった。


変わり者を"個性"として捉えるという考えがなかった。


過去の自分を振り返ってみると
自分が変わり者であることは明らかだということがよくわかった。

中学生の時
メガネで坊主頭だった私はガラケーで西野カナの曲ばかり聞いていた。

「もっと愛の言葉を 聞かせてよ私だけに」
ええ歌やな〜

「会えない時間にも愛しすぎて
目を閉じればいつでも君がいるよ」
ええ歌やな〜

「君と同じ未来を ずっと一緒に見ていたい」
いやぁ、ええ歌やな〜


いや君、恋愛経験なかったでしょ。


皆さんが今、日頃考えている事はおそらく
「今日何食べようかな」とか
「週末は何して過ごそうかな」とか
「ボーナスは何に使おうかな」とかだと思う。

一方私はこうだ

・「犬にはワンちゃんというのに
猫にはニャンちゃんといわないのはなぜだろう」
とか

・「父親を親父と呼ぶ人はたくさんいるけど
母親をおふくろと呼ぶ人は現実世界に見たことないよな」とか

・「和歌山弁の代表として
"つれもてしよら"
"つれもて飲もら"と言われてるけど
"つれもて"という言葉を実際に話している知り合いはみたことがないなぁ」
とか

・「嘘をついた人に対して、人によって
"嘘つけ!"という人と
"嘘つくな!"という人に分かれるけど、どういう比率になってるんだろう?」とか

ちなみに私は「嘘つくな!」と言う派です٩( 'ω' )و

どうでもええわ!!


そんなことを日頃考えている奴が数年前までは自分を普通だと思ってたことが恐ろしい(・ω・)


人間関係でストレスを感じている方
腹が立つのも分かります。
しばきたいと思う気持ちもよく分かります。

そんな方はぜひ、自分のことを変わり者だと思ってみてください。
そして、その人のことはもっと変な人だと思ってみてください。

出会った人全員となにもかも分かり合えるなんて無理です。

それがたとえ親友でも家族でも恋人でも
なにもかも分かり合えるなどありえません。


もしも、真面目で純粋で清廉潔白な人がいて
一般的にまともな人がいたとしても

人によっては
「あいつ、真面目すぎるよな。
ちゃんとし過ぎてるよな。変わってるな。」
と思う人が必ず居ます。

自分が変わり者であることに胸を張ってください٩( 'ω' )و


~余談~

寒くなってきたので久しぶりに聴いている。
この人たちどこでなにしてるんやろ🤔