真珠湾事件直前のアメリカ軍の戦略について

『続・亜米利加物語』がようやく完結した。読み返してみて、ちょっと書き漏らしたことがあったので、補足しておきたいと思う。

それは真珠湾事件の背景についてである。この事件は突発的に起きたものではなく、日米両政府・両軍の政治的・戦略的駆け引きの末に実現した一大スペクタクルであり、その詳細を明らかにすることには大きな意味があり、また興味がある。

日本側の戦略についてはすでに多くの考察が行われているが、アメリカ軍がいかなる戦略のもとにこの戦いに臨んだかということは、全く考察が行われていない。その理由は、アメリカ政府が何の戦略も持っていなかったと公言しているためであるが、そんなことはありえないのである。いやしくも軍隊が存在する限り、それは必ず何らかの戦略に基づいて行動するものであって、真珠湾事件の直前だけは、アメリカ軍がすべての戦略を喪失していたなどということは全くありえないことである。

ゆえに我々は、真珠湾事件に臨むアメリカ軍の戦略がいかなるものであったかを考察しなければならない。その際に、アメリカ軍の戦力配置が我々に手掛かりを与えてくれるだろう。

 

軍隊はつねに戦略を持って行動する。ゆえに、ある時点における軍の戦力配置には、その軍の戦略が反映されていると考えられる。

真珠湾事件当時、真珠湾には戦艦8隻が停泊していた。一方、真珠湾を母港とする空母2隻はそれぞれウェーク島、ミッドウェー島に派遣されていた。

東京からウェークまでは3000km、ミッドウェーまでは4000km、ハワイまでは6000kmである。日本を仮想敵国と見なすならば、アメリカ軍にとってハワイは後方拠点、ミッドウェー、ウェークは前線基地に相当する。

もちろん米本土から見ればハワイも前線であるが、ミッドウェーはさらに2000km日本寄りにあるので、日本軍が攻撃する対象としては、ハワイよりもミッドウェーのほうが可能性が高いと言える。こうした考察から、日本軍の先制攻撃に備えるために、アメリカ軍はミッドウェーおよびウェークに空母を配置した、と推測できる。

この時点におけるアメリカ軍の戦略は、ミッドウェーの空母1隻で日本軍奇襲部隊を迎え撃って、これを足止めする。その間にハワイの戦艦8隻が出撃し、ミッドウェー周辺海域で日本軍と海戦を行う。日本側は奇襲攻撃に大きな戦力を割かないと予想されるから、日本海軍の小部隊をアメリカ海軍の主力で迎撃することができるはずである。

こうして緒戦をアメリカ軍の勝利で飾り、国民の士気を発揚する。同時に日本軍の戦力を削ぐことで、その後の戦いをアメリカ軍に有利な形で展開することができる。アメリカ海軍太平洋艦隊の戦艦8隻、空母2隻と、イギリス海軍東洋艦隊の戦艦2隻、空母1隻を合わせれば、日本海軍を打ち破ることも不可能ではない。

ミッドウェー周辺海域における日本軍の敗北ののち、太平洋のいずれかの海域で、日本海軍と英米海軍による艦隊決戦が戦われるはずである。この戦いに連合国が勝利すれば、ただちに日本本土への侵攻が可能になる。この場合、アメリカ軍は1942年にも小笠原、沖縄に上陸し、そこから時間をかけて本土攻略に取り掛かることができただろう。

 

これが、真珠湾事件直前におけるアメリカ軍の戦略だったと推測できる。要約すれば、ミッドウェーの空母1隻で日本軍の攻撃を受け止め、ハワイの戦艦8隻で日本軍を討ち取る、という二段構えの戦略である。一の太刀で敵の攻撃を受け、二の太刀で敵と切り結ぶ。じつに丁寧で上品な兵法である。

だが、相手が悪かった。日本軍の兵法は薩摩示現流であり、二の太刀はない。最初の一撃で相手の息の根を止め、振り向かずに二人目に斬りかかる。その繰り返しである。

ゆえに、日本軍は敵の本丸ハワイめがけてまっしぐらに突進し、一撃で大将を真っ二つにしてしまった。アメリカ軍としては、戦艦を温存するために後方のハワイに下げ、空母を囮として前線に出していたのだが、それが裏目に出た。日本軍にとってもこれは誤算だったのだが、いまは措く。

アメリカ軍は、日本軍の先制攻撃によって決着がつくとは考えていなかった。最後の決着は戦艦同士の艦隊戦で決まる、と考えていた。だから戦艦を温存しようとしたのである。海軍の主力はあくまで戦艦であり、空母はおまけでしかない。彼らは、空母によって戦艦が沈められるという話を信じていなかったのだろう。

 

アメリカ軍の戦略をこのように解釈すると、真珠湾事件直前のアメリカ政府の行動にも説明がつく。アメリカ政府は日本政府の暗号を解読済みであり、日本国外務省が駐米日本大使館に送った「対米覚書」を事件前日に入手していた。おそらく、真珠湾事件の12時間以上前にその内容を解読していたと考えられる。

にもかかわらず、アメリカ政府は何の対策も行わなかった。もしも彼らがその文書の意味するところを正確に理解していたならば、アメリカ軍の前線基地に対して戦闘配置を命令すべきであった。だが実際には、彼らは何の命令も出さなかった。それはなぜか。

それには三つの可能性が考えられる。一つ目は、「対米覚書」が最後通牒であると理解できなかった可能性。アメリカ政府の言によれば、この文書は最後通牒ではない。なぜならば、最後通牒に必要な形式がとられていないからである。

たしかに、この覚書の末尾には合衆国との対話を望む一文が記されている。しかし、それ以外の部分は合衆国の非を鳴らし、その不義理を責める内容となっているから、これが果たし状の形式をとっていることは日本語の話者であれば理解できるはずである。末尾の一文は日本政府内部の政治的妥協の産物であって、覚書のほかの部分と齟齬をきたしていることは誰にでも分かる。それが分からないとすれば、その人には日本語の読解力が不足していると言わざるをえない。

わざわざ暗号を解読したにもかかわらず、文書の内容が理解できなかった、などという間抜けな話があるだろうか。日本語の読み方が分からないなら、はじめから暗号を解読する必要もない。この文書が最後通牒の形式をとっていないということは、あくまでも政治的な言い訳にすぎず、問題は合衆国政府がそれをどう理解したか、という点にある。合衆国政府がそれを最後通牒だと正しく理解していたのならば、すなわち、日本国政府に武力行使の意志があると判断していたのならば、なぜ何の対策もとらなかったのか、という問いに答えねばならない。

というのも、もしもこの時点で、アメリカ政府がアメリカ軍に対して戦闘配置を命令していたならば、日本軍による奇襲攻撃は防げたかもしれないのである。しかしその場合、アメリカ軍基地が警戒態勢をとっていることに気付いた日本軍が、奇襲攻撃は失敗したと判断して、そのまま引き返してしまうかもしれない。それによって、アメリカ政府が日本政府の暗号を解読していたことが相手に知られてしまうかもしれない。ゆえに、暗号解読の事実を日本政府から隠すために、アメリカ政府はあえて何の対策も行わなかったのだ、という可能性がある。これが二つ目の可能性である。

しかしながら、日露戦争の際には、日本軍は宣戦布告前に行動を起こしているので、日本政府の宣戦布告を待ってアメリカ軍に命令を下すのは危険である。実際、真珠湾事件でアメリカ軍が被った損害の大きさを考えるならば、暗号解読の事実がばれる危険を冒してでも、アメリカ政府は何らかの対策を行うべきだったと言える。

だが、冷静に考えれば、この程度の考察がアメリカ政府にできなかったはずはない。ゆえに、第三の可能性として、日本軍が宣戦布告前に行動を起こすことを想定していながら、アメリカ政府があえて何の対策も行わなかった場合が考えられる。

これは、わざと日本軍の奇襲攻撃を成功させて、彼らを罠にかけるということである。アメリカ軍はすでに用意万端で日本軍の攻撃を待ち構えている。ウェーク、ミッドウェーにそれぞれ空母1隻、そしてハワイに戦艦8隻。この鉄壁の布陣をもってすれば、日本軍奇襲部隊を討ち取ることなど造作もない。あえて命令など出すに及ばず、現地軍の判断だけで十分対処が可能であろう。

また、下手に命令など出して、日本軍が攻撃を取りやめるような事態になっては、アメリカ政府の戦略が崩れてしまう。ここは日本軍に安心して奇襲攻撃を行ってもらうために、アメリカ軍には無防備でいてもらったほうがよい。わが軍の損害は最大でも空母1隻程度である。これで日本を征服できるなら、安いものだ。

これが大統領の胸の内であったと想像できる。その結果が真珠湾事件である。じつに残念なことであった。

 

真珠湾がだまし討ちであったかどうかは、この際どうでもよい。大事なのは、真珠湾においてアメリカ軍が日本軍に敗北した、という事実である。我々は、なぜアメリカ軍が負けたのか、その原因を究明しなければならない。それが歴史学の使命である。

こうした研究はまだ十分に行われているとは言えない。この考察がその一助になればと思う。

薩摩示現流は卑怯と言えば卑怯である。その剣法を知らない者にとって、示現流の一撃を避けることは至難である。だから、アメリカ軍が日本軍に負けたのは、ある意味当然のことであって、何ら恥じるべきところはない。ただ、その敗北を率直に認めて、敗因を考察すればよいのである。

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