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中国の近代化

私は、近代化に必要な要素は二つあると思う。

一つ目は、国民意識である。我々は〇〇国民である、という意識を持った人々の集合が、近代国家である。そして建前上は、彼らが国家の主権者であることになっている。

二つ目は、都市文明化である。近代化とは、人口が都市に集中する過程である。都市が農村から人口を吸い上げ、彼らを賃労働者として工場で働かせる。それによって工業生産力が向上し、工業製品が街に溢れ、都市の生活が豊かになる。豊かな都市の生活にあこがれて、さらに農村から都市へと人が集まる。

この二つの要素によって、近代化は構成されている。そして、近代化を始めるためには、国家の権力を、古い支配者から新しい支配者である国民へと譲り渡す過程が必要となる。フランスでは革命によって王政が廃止され、ナポレオンが国民国家を完成させた。日本では戊辰戦争によって旧支配者である徳川政権が排除され、明治政府が成立した。

それが暴力的なものであるかどうかは問わないが、旧支配者を排除する過程がなければ、近代化は始まりようがないのである。では、中国において、このような近代化の過程は存在しただろうか。現代の中国はまさに近代国家であり、農村を置き去りにした都市文明であるように見える。中国の近代化は、どこから始まったのだろうか。

 

辛亥革命によって清朝は打倒され、中華民国が成立した。しかしそれは、古い中国そのものであった。革命後も中国各地には軍閥が割拠し、それぞれの地域の政治と軍事を一手に握っていた。国民政府は、それら軍閥の元締めでしかなかった。革命の内実はこのようなものであり、このままでは中国の近代化は不可能であった。

中国大陸において本当の意味で近代化が始まるのは、満洲事変からである。日本軍は、当時満洲を支配していた張作霖・張学良らの軍閥を排除し、五族協和を理想とする満洲国を立ち上げた。このときに、近代化の第一歩が踏み出されたのである。

石原莞爾は、満洲国を共和制国家とするつもりであった。しかし様々な事情によってそれは断念され、満洲皇帝をいただく君主国として建国されることになった。にもかかわらず、その理想は依然として五族協和であり、すべての民族が平等に国政に参加するべきだとされていた。満洲国は、近代的な国民国家として建設されたのである。

たしかに、現実の満洲国はその理想とはかけ離れたものであった。しかし、理想をそのまま実現している国家など、この世界のどこにも存在しない。むしろ、理想に向かって努力するところから、国の力は生まれてくるのではないだろうか。

いずれにしろ、近代的な理想を持った国家が中国大陸に建設されたということ自体が、非常に大きな意味を持っていたのである。この事件こそが、中国近現代史におけるターニング・ポイントであった。その後、日本の資本が導入されることによって、満洲は工業国家として発展することになる。

 

近代化が農村を廃れさせるものであるならば、満洲から始まった近代化の流れに対して、農村の利益を代表する政治家が現われたのは、当然だったのかもしれない。

毛沢東主義は、マルクス主義とは根本的に異なるものである。毛沢東の革命は、農民の農民による農民のための革命運動であり、中国全土を農村化しようとするものであった。彼は都市文明を完全に否定し、徹底的に近代化を阻止しようとした。

マルクスは、資本主義の存在を認め、その発展の最高段階において共産主義が実現すると考えた。しかし毛沢東はさらに過激だった。都市の存在を否定し、近代化を否定することによって、資本主義の発生を未然に防ぐこと。それこそが彼にとっての共産主義だったのである。

毛沢東が生きている間は、彼の思想は完全な成功を収めた。中国には資本主義の芽すら生えてこなかったのである。しかし彼の死後、中国はあっけなく近代化を再開することになる。毛沢東の死とともに、中国共産党は死んだ。

現代中国の起源は満洲国にある。満洲から始まった近代化の波は、毛沢東の活躍によって一時的にせき止められたものの、彼の死後その勢いを増し、今まさに中国全土を飲み込もうとしている。

しかしながら、現代においてもやはり、毛沢東思想は大きな意味を持っている。彼が投げかけた疑問を、我々は正面から受け止めるべきなのかもしれない。

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