見出し画像

絶対安全チョコレート(999字)

 2月のどこにも君はいない。2月以外のどこかに消えた。君がいないと知りながら、僕は未練がましく2月の世界をさまよっている。
 2月の日々は工場で作られたように区別がない。
 2月の風には匂いもなければ重さもない。
 すなわち君の言葉を再生するのに最適な環境だ。

「私の目には空気が一粒ずつ見える」
「非科学的だよ」
「純粋な科学の話。私に有害物質は付着しない。一粒たりとも見逃さない」
「粒?」
「粒」
「僕は穢れて見えるだろうね」
「非常に穢れて見えますね。百の病におかされている。遠からず死ぬ。なかでも致命的なのが私の毒です」

 君の毒はまだ僕を殺さない。ただし僕の人生を極端に破壊した。君のいない2月は空っぽ。街はさながら墓場の様相。暗く沈んで人けがない。莫大なフォロワーの幻影を引き連れた幽霊たちが闊歩する、最新型のゴーストワールド。最新型のインフルエンサーたちがこぞって手にした最新型の戦斧には、最新型の変異ウイルスが搭載されている。最新型の不安。最新型の死。旧世界を壊して回るのに丁度良い。奴らのおかげで街の浄化はすっかり完了。虫もカラスも老人も消え、少女ばかりが過剰で架空。最新の壁に書き殴られた、最新の意味の【they】の文字。最新型の勝利の光景。でも戦争は終わらなかった。支配者は影絵。通常の武器では届かない。
 2月より先の世界で起こった出来事だ。
 2月にとどまる僕には少しも関係ない話。

 かつて、貴重な夜をまるまる一晩費やして、君はチョコレートを溶かして固めて魔法をかけた。
「どう? 私の肉体が、声が、思想が、このメランコリックな色合いで、世界全体に染みこんだような気がしませんか?」
「わからない」
「でも甘いでしょう」
「僕の舌には苦すぎる」
「薬だと思って」
「毒ではないの?」
「あなた次第ね。結末は常に2種類用意されている」

 君の虚ろな笑い声。誰にも感染しない歌。君の記憶は細かく砕け、2月の風で拡散中。全部の破片を拾い集めて、君の壁画を作りたい。クラウドファンディングにうってつけの、無意味でエモーショナルな夢。
 2月の恋には匂いもなければ重さもない。囚われの神は眠りこけ、愛し合っていた嘘の記憶も凍りつく。あのチョコレートに味はなかった。空間はすべてホログラム。君の輪郭の中にだけ、あたたかい血と内臓が備わっている。君はこの世界の、最も奇妙で美しい部分なのだ。とても不思議だ。とても敬虔な気持ちだ。


#小説