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不要不急の私たち(7777字)

 私は働いていない。
 夜は部屋の隅でじっとしている。
 昼は街をぶらつき、奇妙な看板や可愛い猫なんかを探して過ごす。
 私はそれらを写真にはおさめない。写真を撮ると落ち込んでしまう。画角に切り取られなかった外側の世界のことばかり考えてしまうから。写真の外は、目的も予定もある正しい人間たちのすみかだ。
 自分の人生を思うと気分が悪くなってしまう私のような人間は、都合の悪いことからは目をそらして生きるしかない。
 この人生から脱出する方法を知りたいわけではない。励ましてほしいわけでも、慰めてほしいわけでもない。「私も同じ気持ちだよ」と言ってほしい気は少しするけど、実際に言われたら、それも違うと感じるだろう。

 私たちが出会ったのは、何の予兆もない昼下がりのことだった。
 海辺の街。殺人ウイルスが蔓延していて、外をうろついているのは何の用事もない奴らか、人間関係が皆無な奴ら、自分を含めたあらゆる生命に興味を持たないくずのような奴らだけ。
 すなわち私のような人間だ。
 彼女は堤防で釣りをしていた。私と同じ色のスカートを穿いていたので、何となく近づいてみた。珍しい色だったのだ。「同じ色ですね」と言うつもりはない。ただ何となく、後ろに立って眺めた。近くで見ると、そのスカートは私が穿いているものとまったく同一の品だと思われた。
「そこでレンタルできますよ」
 釣り糸を垂らしたまま、こちらを見ずに彼女は言った。
「レンタル?」
「釣り竿」
「ああ」
 釣りをしたいとは思わなかったけれど、私はなぜか言われるまま無人の小屋で釣り竿を借りた。400円を箱に投入する仕組みだった。少ない貯金を切り崩して生活している私には、地味にこたえる出費だ。
 彼女の隣に座って、見よう見まねで釣り糸を垂らす。
「釣りをしたことがないんだけど。こんな感じかな」
「どうだろう。私も今日が初めてなのでね」
「あ、餌をつけてない」
「そういえば私も付けてないな」
「それで釣れますか?」
「釣れませんね」
「餌をつけていないからでは」
「やはり、そうなのでしょうか」
 私たちは並んで潮風に吹かれた。何時間も。天気は良く、言葉はなかった。人生のハイライトとして切り取るのにふさわしい場面だと思った。彼女の髪は長く、顔は半分以上隠れている。基本的に無愛想な人間なのだな、と何となくわかった。それが居心地の良さと関係している。

「何か食べますか」と彼女が急に立ち上がった。ついて行くと、50メートルほど歩いた先のプレハブ小屋に彼女は入った。内部はバスケットコートくらいの広さ。食べ物の自動販売機がしつらえてあって、等間隔に長机が3本並べてある。
 彼女は自動販売機に340円を投じて肉うどんのボタンを押した。
 私は何にしよう。うどん、肉うどん、かき揚げうどん、わかめうどん、醤油ラーメン、カツ丼、ビーフカレー、ナポリタン。
「カツ丼とビーフカレーがあるのに、カツカレーがないなんて」と私が嘆くと、彼女は「うどん以外は食えたものじゃない。かき揚げもだめですね。うどん、肉うどん、わかめうどん。この3種類から選ぶべきだ」とアドバイスしてくれた。
 5秒ほど迷った末に肉うどんを選ぶ。「良い判断です」とお褒めの言葉をいただいた。
 できあがったばかりの肉うどんは、紙の容器が熱くてテーブルまで運ぶのが大変だった。釣りのときと同じく、並んで黙々と食べる。麺はのびているが、おいしいと言えなくもない。
 食べ終わると彼女はコートのポケットからぼろぼろの文庫本を取り出して読み始めた。横から盗み見ると、鮮烈な文章が飛び込んでくる。

【 ディーンに話したら、ピュアな死への願望だよ、とあっさりかたづけられた。二度生きられるやつはいない。おれには関係ないね 】

 彼女が本の世界に入り込んでしまったので、私もiPhoneを取り出した。とっくに解約されているので、Wi-Fiのない場所では機能がかなり制限される。そしてここにはWi-Fiがない。もっと言うと我が家にもない。
 仕方なく、昔ダウンロードした電子書籍を読むことにする。オーウェルの『一九八四年』。いつの時代に読んでも「いまの時代のことが書かれている」と暗示的に受け取られてしまう、不幸で滑稽な小説だ。
 日が暮れてきた。
「出ますか」と彼女が立ち上がる。「お住まいはこの辺?」
「わりと遠いです。電車に乗ってしまったので」
「もう遅いし、最近は危険な輩も多い。うちに泊まりますか? 一人暮らしの狭い部屋ですが」
 意外にオープンな性格のようだ。私は素直にお言葉に甘えることにする。自分のその判断も意外だった。初対面の人間の家に泊まるのは初めてだし、そもそも他人の家に泊まるのがいつ以来か思い出せない。
 彼女の家まで歩いて15分。
 木造アパートの一階の角部屋。
 ありていに言えば彼女の部屋はゴミ屋敷だった。足の踏み場もないとはこのこと。しかし食べ残しや悪臭のする類のゴミは一切ない。本や紙くずや電子機器なんかが散乱しているのだが、不思議とホコリっぽさもなかった。
 清潔なゴミ屋敷、という謎のフレーズが頭に浮かぶ。
 私は彼女の部屋のコンディションを好ましく思った。散らかっているとはいっても、天才ぶった雰囲気とは無縁の散らかりよう。凡人の散らかし方だ。それが心地よい。私たちのような孤独に魅入られた人間の中には、高い確率で天才ぶる奴がいるのだ。もしくは、ことさら孤独ぶるやつが。孤独を強調したがるやつにはヘドが出る。
 そしてやっかいなことに、なかなかの確率で本当の天才もいたりする。そいつらは徒党を組んで創作活動に打ち込んだりする。結果を出して、しだいに訳の分からない言葉を操るようになる。本当にうんざりだ。さっさと我々の領土から出て行けとしか思わない。
 彼女はそのどちらでもなかった。ある種の若い女が非常にナチュラルに生きた結果、このような部屋の有り様になっているのだと直観的に理解できた。
 私たちはコートを脱ぎ、何か得体の知れない機械の上にかけた。そして三辺がゴミで塞がれたこたつの、空いている一辺に並んで座る。彼女がエアコンのスイッチを入れた。咳き込むような起動音がして、ささやかな温風が部屋に流れだす。
「しまった。この部屋には娯楽がないのだった」彼女が無表情に言った。「そんな家に招いたりして、無責任でしたね」
「いつも何をして過ごしているの」
「本を読んだり、考えごとをしたり。たまに音楽も流すかな。レコードがどこかにあるので。偶然それが見つかったときには」
「Wi-Fiがきてますね」
「へえ。知らなかった。私はスマホを持っていなくて。インターネットは喧嘩が多いでしょう。どうにも疲れてしまう」
 彼女が老人のように目をしょぼしょぼさせたので、私は少し笑った。
 結局、私のiPhoneで映画を観ることになった。部屋を暗くして、小さなディスプレイから溢れる光に目を凝らす。数時間前に出会ったばかりの名も知らぬ女と肩を寄せ合って。なんだか不思議だ。
 映画はジェーン・オースティンの原作をエマ・トンプソンが脚色した古い作品で、若い女優たちが200年前の貴族を表情豊かに演じている。映画が公開されて数十年がが経過しているから、女優たちは、今はもうこのときの姿ではないだろう。
 物語はぜんぶで136分なのだが、80分あたりでバッテリーが切れてしまった。夢のような舞踏会のシーンの真っ最中だった。
「良いところだったのに」と彼女が言った。
「充電器を忘れてしまって」
「続きを今度見せてください。いつか晴れた日に」
 そう言うと彼女は、塔のように積み上げられたゴミの中からノートを取り出して、一心不乱に何か書き始めた。覗き込むと、日記のようだ。2行ほど読んでみたが、なかなか酷い文章力だった。あまりに真剣なので邪魔してはまずいと思い、私は別のゴミ塔から適当な本を抜き取って読むことにした。『大日本天狗党絵詞』。漫画だ。
 私たちはそれぞれの世界に没頭する。
 久しぶりに充実した夜だった。
 ずいぶん経ってから柱時計を見ると(ゴミの山から文字盤だけが突き出ている)、時刻は深夜1時。彼女はもう日記を書いておらず、古い地図帳のようなものに何かを熱心に書き込んでいる。
「お風呂を借りても良いですか?」と私は聞いた。
「お風呂に入りたいのですか?」
「まあ、できれば。潮風でべたべたなので」
「私はあまり頻繁には風呂に入らないのです」
「私は毎日入りますね」
「子供の頃、水浴びが好きでしたか?」
 私は少し考えて「水浴びは好きでした」と言った。「なるほど」と彼女は頷く。
 水浴びが好きだったという私の回答は、嘘でも本当でもない言葉だと思った。

 風呂は散らかっておらず、そう汚れてもいないのでほっとした。シャワーだけを借りた。バスタオルは硬い。洗面台には歯ブラシ1本と歯磨き粉しかない。
 部屋に戻ると、彼女は机の上をさんざん散らかしていた。新品の化粧品やらサプリメントをぎっしり並べているようだ。
「好きなものを使って良いですよ」私を振り返って彼女は言う。
「これは?」
 私は思わず、この女が鋭い目つきで窃盗を繰り返すさまを想像してしまう。
「薬局に勤めていたのです。去年まで。店じまいの際に譲り受けました。老夫婦がのんびりやっている、なかなか素敵な店だったのですが」
 私は机の上のものを適当に手に取った。ランコムの美容液。
「こんな高価なものも?」
「ああ、その類は老夫婦と同居していたお孫さんのものだな。そういった化粧品を紹介する動画配信? とかで生活していたようで。部屋から出ることのない人だったので、私はお見かけしませんでしたが。そうとうな人気だったと聞いています。遺品として、段ボールで10箱もいただいてしまった。老夫婦が、私に使ってほしいとのことだったから」
「遺品?」
「自殺したらしい。店を閉めることになった遠因でしょう」
 彼女に勧められるまま、自殺者が使う予定だった新品の高価な歯ブラシを開封して歯を磨く。口をゆすいだあと、彼女の歯ブラシの横に並べて立てた。それぞれの旗のようだ。
 眠くなった私たちはシングルベッドに仲良く収まった。シーツは少し湿っていて、清潔とは言えないだろう。しかし不思議と嫌な感じはしない。
 私たちは昼間と同じ格好だ。
「同じスカートだ」と彼女がようやく気づいた。
「以前、この駅の商店街で買ったんですよ。入ってすぐの洋品店。ワゴンセールをやっていて。もう潰れましたが」
「私もそこだ」と彼女。「あんなところで服を買う若い女がいるなんて」
「その二人が同じベッドにいる」
「スカート同士がひとつの布に戻ろうとしているのかも」
 私たちはくすくす笑いあった。まぢかにある彼女の体からは焚き火のあとのような匂いがする。眠りを誘う匂いだ。先に彼女が小さないびきをかきはじめて、ほどなく私も深く眠った。

 目が覚めると彼女はベッドにいなかった。外出、とだけ書かれたシンプルな置き手紙がこたつの上に置かれている。カーテンから漏れる朝の光が、この部屋のみすぼらしさをつまびらかにしていた。思っていたよりずいぶん狭い。ミステリアスな雰囲気の一切が消失している。顔も洗わずにぼーっとしていると、彼女が戻ってきた。「ふだんは朝食は抜くのですが」と言う彼女の手には食べ物の入ったコンビニ袋。
「おにぎりとパン、どちらが良いですか」
「パン」
 チョココロネとカフェラテが私に差し出される。彼女はツナマヨのおにぎりと十六茶。そっちのほうがいいな、と思ったけど言わなかった。
 朝食を終え、歯を磨き、二人して自殺者の遺品である高級コスメを大胆に使用して身支度を整えた。彼女の顔は見違えるようになった。薬局から譲り受けた品々を開封したのは昨日が初めてだという。「きっかけがなかったものでね」

 二人で家を出て別々の道へ向かう。泊めてもらったり、食事をわけてもらったことへの謝辞を述べた。
「いえいえ。私も久しぶりに映画を観せていただいたから」彼女は私と目を合わせずに言った。お礼を言われるのを極端に苦手とするタイプだ。
「映画は途中までで申し訳なかったです」
「途中までというのがいちばん良いのかもしれない、映画というのは。人生だって、途中から途中までのようなものでしょう」
 私たちは軽く挨拶をして別れた。

 それから、私の生活はさらに無味乾燥なものとなった。自分の部屋に戻るたびに、むなしい気持ちに襲われた。人生が少しずつ崩壊していくさまを眺めるのは心地よくもあるのだが、現実の生活と、心で感じていることのあいだに、ちぐはぐさを感じるようにもなっていた。
 ひと月あまりそうやって過ごしたあと、私は思い立って、あの堤防まで出かけることにした。
 死のウイルスの影響で電車はがらがら。街も静まりかえっている。ちらほらうろついているのは足もとのおぼつかない廃人のような連中ばかり。まともな人々はインターネットに逃げ込み、それぞれの旗を掲げて血で血を洗う抗争に明け暮れている。思想の陣取り合戦。過去の戦争で編み出された戦術はインターネット上でもすべて使用可能、それどころか、どの時代にも存在しなかったほど洗練されている。
 結果として量産される泥仕合。
 死せるアカウントが生ける成功者を撃ち落とす。
 タイムラインを埋め尽くすのは奇襲、一斉射撃、挟み撃ちに離間の計。
 あるいはユーモラスな猫の写真や、充分に加工された美しいセルフポートレートの、寄せては返す永遠の波。
 世界はすでにディスプレイの中にすっかり格納されているのだ。

 堤防に彼女の姿はなかった。天気は素晴らしく良い。私はプレハブ小屋にまで足を延ばしてみる。長い手足を縮こまらせて、彼女が肉うどんを食べていた。私を見ると少し驚いた様子で「やあ」と言った。私も肉うどんを注文し、隣に座る。
「映画の続きをお見せしようかと」
「なるほど」と彼女。
 食後にしばらく釣りをした。もちろん餌は付けない。もちろん何も釣れない。
 日が暮れたので彼女の家に向かう。
 途中でスーパーに寄って、パスタの麺、シーチキン、プチトマト、最小限の調味料なんかを買った。「料理ができるのですか」と彼女は驚いていた。
 彼女の家でパスタを作る。キッチンは使用された形跡がなかった。
 二人でそれを食べる。「お店が開けますよ」と彼女がありきたりな褒め言葉を使うのが可笑しかった。
 満を持して、1か月ぶりに映画の続きを観る。波瀾万丈の物語。エマ・トンプソンが涙を流すシーンでは彼女も泣いていた。鑑賞後、「映画は終わる。それが素晴らしい」と彼女はつぶやいた。
 私は今回も風呂を借り、彼女は今回も入らなかった(数日に一度くらいは入るらしい)。
 二人でベッドに潜り込むと、ケースにおさめられた揃いの人形になった気がした。
 彼女は目を閉じることなく、じっと私を見ている。私も目をそらさずに彼女を見ていた。
 しばらくすると彼女の顔が近づいてきて、私の耳を軽く舐めた。少し噛んだりもした。私はされるがままにしていたが、やがて手を伸ばして彼女のお尻や太もも辺りをそっと触ったりしてみた。彼女の髪は明確な海の匂い。首筋にかかる息が熱かった。
 しばらく二人で、ぎこちなくもぞもぞしていたのだが、たいした感情的起伏もなく、自然と収束した。
「なんだったの」私は無粋な聞き方をする。
「いや、なんとなく試してみたのですが」彼女は悪びれた様子もない。「結果として、意味がよくわからない」
 なるほど。私もまったく同意見だった。
 私たちの関係性は、私たちにも意味不明なのだった。

 その日以来、私は彼女の部屋に住み着いた。昼間は別行動。夜になると戻ってきて、それぞれに適当なものを食べて、それぞれ適当なことをして過ごした。私と同様、彼女にも友人は一人もいないだろう。
 夜は同じベッドで寝ることもあれば、片方がこたつで寝ることもあった。たまに興が乗ったときなど、強く抱きしめあったまま眠ることもあったが、単にそうしたい気分、という以上の意味はなかったと思う。私たちはお互いに「居心地のよさ」だけを摂取していた。ただそれだけ。

 そうやって半年ほど暮らしたあと、私はふと自分のアパートに戻ってみた。郵便受けを整理する必要があると思ったのだ。家賃も無駄に払い続けているし、週の半分くらいは自分の部屋で寝るのも良いかもしれない。
 でも彼女を連れてくる気にはならなかった。
 なんとなく、彼女の生活圏を私の意思で動かすのは違うという気がした。
 詰め込めるだけ詰め込まれていた郵便物を抱えて部屋に入る。
 砂っぽい床を軽く掃除をしたあと、冷蔵庫をチェックして、不要なものをまとめ、ようやく郵便物を選り分ける。3通目で手が止まる。
 1年前、とある文学賞に応募していたのを思い出した。
 受賞の知らせだった。
 メールも電話も何度もしたが通じない、返事をくれ、という旨の直筆のメモが添えられていた。私は青ざめ、全身にうっすら汗をかいていた。天才のふりをして、社会的な成功をおさめ、私から離れていって、私を蔑むようになったたくさんの人たち。あいつらと同じステージに私も立つのだろうか、と思った。
 自意識過剰かもしれない。
 私はどんな小説を書いたのだろう?
 それすら覚えていない。
 私はメモに書かれた番号に電話をかけ、受賞者であることを告げた。雑誌の編集者だと名乗る男が、あなたはここ10年で最大の逸材です、編集部でも話題で、こんな人を逃してはならないと大騒ぎだったんですよ、と興奮した口調でまくし立てた。
 私は彼女のいる海辺の街に戻らなかった。
 どんな顔をしてこのことを告げたら良いかわからなかった。

 3か月後に私の小説は出版された。嘘のように売れた。しかも私の発言までもが黄金のようにもてはやされるようになり、私の暮らしぶりは急激に向上した。結婚をして、離婚もした。子供はいない。いつしか私は、かつての自分によく似た人たちを心の隅で憐れむようになっている。その代償として、昔の自分なら読む気もしないであろう軽薄な文章を量産できる力を授かった。
 いまやインターネットには私の兵隊が10万単位で存在する。
 ずっと前から用意されていた場所に、すっぽり自分がおさまった気がした。
 こんなに簡単なことだったなんて。
 今の私には目的と予定がぎっしりある。そんな人間に特有の目をしている。他人に厳しく、社会の脆弱性をきつく責め立てるくせに、どこか間抜けな、つるつるの顔。
 私は二人に分裂したのだと思う。
 片方の私は今も海辺の街で彼女と暮らしていて、すべてが美しく崩壊していくさまを、静かに、つぶさに見守っている。
 もうひとりの私は荒野のように見通しの良いリビングで、小さなコンピュータを睨みつけ、海辺で暮らす私と彼女についての架空の物語を書きながら、心臓が潰れるほど孤独で、才能に満ちあふれ、世界が唐突に消失することばかり願っている。
 馬鹿みたいな、ありふれた映画の中にいるような気がした。
 馬鹿みたいな人間には、馬鹿みたいなキャラクターしか演じることが出来ないのだ。
 ディーンは言った。【ピュアな死への願望だよ。二度生きられるやつはいない。おれには関係ないね】と。
 そう。誰しも二度生きることはできない。
 しかし、ふたつの人生を同時に生きることはできる。その両方ともがいずれ終わる。彼女が舐めた私の耳に、iPhoneのアラームが鳴り響く。午前1時。窓の外は見知らぬ夜。いつかの自分と目が合った。




※引用部分は、J・ケルアック『オン・ザ・ロード』
(青山南・訳/河出文庫)

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