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Girls on Filter (2500字)

 奈津子が内臓をいくつか落としたというので、私たちは二人で夜道を引き返す。暗い雑木林。iPhoneのライトだけが頼りだ。
「今日は早く帰れると思ったのに」と私。
「もう愚痴か? まだ5分も探してないよ」
「いやいや、私関係ないからね、本来」
「でも私とは関係あるじゃん? 私に関係した自分の運命を呪ってね」
「なんで毎日内臓落とすんだよ」
「握力なくてさ」
「意味わからん」
「最悪、肺と心臓さえあれば動くからね、人って」
「そんなわけなくない?」
 白い小石をたどるヘンゼルとグレーテルのように、私たちは注意深く歩く。二人の視線は高速に、縦横無尽に地面の上をサーチしていた。
 土の色の濃淡。
 生ぬるい風。
 枝を踏みしめる音。
 密集した電子的な構成要素を、きれいに分解するみたいな感覚。  
「あった」と私。「きも」
「臓器だけに?」
「うるさい。早く拾って」
「これは……脾臓だな」奈津子は身をかがめて自分の臓器を拾う。即座に口から体内に入れようとする。
「泥とか落とさなくて良いの?」
「平気平気。多少の汚れなら。どうせ外からは見えないからね」
「そういう問題なの」
「私、クルマはピカピカに磨くけど、車内は散らかすタイプなんだ」
「免許ないだろ」
「そうだね。想像で喋りました……うっ」
「どした」
「いや……大丈夫。ちゃんと入った。脾臓が。所定の位置に」
「じゃ帰ろっか」
「まだ。あと2、3個あるはず」
「どうなってんだよ。正確な数もわからないの?」
「2個……あと2個です」奈津子がお腹をさすりながら青い顔で言った。「もう少し付き合ってください。こんな夜道、1人じゃ怖いんです」
 可哀相になってきた。私たちは再び暗がりに内臓を探す。目を凝らす。世界の種明かしのように、無機質な文字列が空気中にびっしり浮かび上がってきそうだ。
 でも、徐々に興奮してくる。
 私は今、奈津子の内臓を探しているのだ。奈津子の皮膚の下にあるものを。
 しばらくうろうろする。20分ほどで胆嚢が見つかった。奈津子はこれも平然と飲み込む。
 しかし、次が見つからない。
 さらに20分が経過。
「もうさ、1個ぐらいなくても良くない?」私は声を荒げてしまう。「肺と心臓さえあれば問題ないんでしょ?」
「いや、できればぜんぶ揃えたい……私も人並みに五臓六腑に染み渡らせたいし。熱燗などを」
「贅沢言うなよ?」
「健康で文化的な最低限度の生活だろ! 弁護士目指してるんでしょ? 憲法読んだことないの?」
「憲法は読んだことない。法律は半分まで読んだ」
「そんな機械みたいな勉強の仕方あるんだ」
「もういいよ。さっさと探そ」
「そんな苛ついた声出さないで! 悲しくなる」
「ごめんて」
 さらにうろうろすること40分。さすがに明日にしよう? と私が口を開きかけたとき。
「あったあ!」奈津子が歓喜の声をあげる。
 iPhoneのライトで照らされている辺りを私も見る。
 闇夜に浮かび上がる、とぐろを巻いた大きな蛇。
「騙したな!」私は腰を抜かしそうになった。何が苦手って、カマキリと蛇だ。「毒蛇だ!」
「失礼しちゃうね」
 奈津子が平然と近づき、それを手に取った。でろでろでろん、と音がしそうな感じに、とぐろがほぐれる。
「これはね、大腸」
「ぎえー!」
「蛇じゃない。毒などない。ピロリ菌もいない。生きたままのビフィズス菌が満載」
「大腸落とすなよ! ていうか内臓を落とすな!」
「腸は入れるのが面倒なんだよな。どっちから……やっぱ下からか?」
「グロ……」
「下から入れるか。スカート短いの穿いてくるべきだった」
「早くして」私は奈津子に背を向ける。変な虫に刺されろ。下半身を全部。
 よっ、ほっ、んっ……よしっ。いいぞいいぞ。するする入ってく。などと臓器の欠けた女が言うのが後ろから聞こえる。
 たまらず夜空を見上げると、細かい枝のあいだから大きな月が見えた。憂鬱な暗示のようだ。私はイヤホンを耳に差し込む。ホロヴィッツのショパンを流す。それだけで夜が急速に組み立て直されていく。
 5分経過。
 美しい暗闇と、鍵盤の上下動。点滅する星々。それ以外のすべては消えた。私のまとったフィルターは1枚1枚剥ぎ取られ、肉体は透明に近づいていく。湿った夜気と一体化しはじめる。
「終わった」と急に肩を叩かれたので私は本当に跳び上がってしまった。そのあと尻餅をついた。湿った土と草の感触が手のひらに食い込む。
「びっくりしたあ! こっちが内臓全部落としそうだわ!」
「悪い悪い」奈津子が私に手を差しのべる。「ぜんぶ入ったよ。内臓」
 なんだそれは。不可解な歌詞のようだ。
 私は奈津子の手をつかんで立ち上がる。
「ぬめってるんだけど」
「まあ……さっきまで大腸触りまくってたし」
「手を拭け」
「拭くものをくれ」
「その辺の葉っぱで拭け」
 私たちはぶつぶつ言いながら寄宿舎へと引き返す。
「今度なくしたら殺すからな。心臓も肺も潰してやる」
「じゃあしっかり見ててよ。私が何も落とさないように」
 木々の隙間は濃紺に塗り込められ、天体の光は枝葉でステンドグラスのように分割されている。
「フィルター剥がれてるよ」奈津子が私の横顔を見て言った。
「知ってる」
「すっぴんも可愛いね」
「やめろ。見るな」
「私のも見せてあげようか」
「あんたフィルターぜんぶ剥がしたら臓器だけになるんじゃない? 皮膚も何もないお化けみたいな」
「そうかも」鼻息を漏らすように奈津子は笑った。「ちょっとだけ見てみる?」
 奈津子のフィルターがひとつ除去される。
 それだけで、もうほとんど別の生き物だ。
 私たちは大笑いした。
「ロビーの自販機におでん入ったの知ってる?」と奈津子。
「まじか。知らない」
「今日のお礼におでん奢ってあげるよ」
「やったぜ」
「ねえねえ。内臓が全部おでんだったら可愛いと思わない?」
「可愛いとは思わない。美味しいとは思う」
「大腸は糸こんにゃくだな」
「大腸の話やめて」
「心臓はなんだろうね。餅巾着かなあ」
「卵だろ」
 早くおでんが食いてえ。
 奈津子の心臓だと思って、卵をぐちゃぐちゃに噛んでやる。
 胸を痛めて死ね。
 寄宿舎の入り口を前に、私たちはまたフィルターをかまして、元の美しい姿を取り戻した。
 内臓の完璧に揃った、可愛い二人。おでんの鍋のような。
 エントランスから優しいオレンジの光が漏れている。


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