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死と教育(666字)

13歳にして僕は小学校の担任を全員亡くしている。
6人の先生のうち、4人は老人だった。3人は病死。1人は焼死。1人は台風の日に屋根を修理しようとして死んだ。
最後の1人が山岸先生。4年生のときの担任だ。きのう遠い街で殺されて、
山岸沙織(26)
という文字列に変化してしまった。

「真野くん」
山岸先生がこの上なくクリアな発音で僕を呼び止める。
あれは6年生の夏。
「受験することにしたって?」
「はい。一中です」
「勉強は足りてる? この辺の塾だと弱いと思うよ」
「土日だけ市内の塾に行ってます。お母さんの運転で」
「大変だね。私で良かったら少し見てあげるよ。夏休みも学校にいるから」

それで一度だけ算数を教わりに行った。夏休みの職員室に。すでに理解している問題を、わからないふりをして聞いた。山岸先生のブラウスの襟にかかった髪の挙動を今も覚えている。先生からは何の匂いもしなかった。清潔な花瓶みたいな人だ。

帰りは先生がバス停まで送ってくれることになった。先生の車は赤いヴィッツ。駐車場の闇に沈んでいた。助手席にあった本を膝に抱えて座る。ル・クレジオ『大洪水』。会話はとくになし。車窓の美しい夜が、見飽きた田舎町のものとは思えなかった。

「きみは優秀だよ」
別れ際に先生が微笑んだ。笑顔を見たのはその一度きり。中学に合格した僕は『大洪水』を少しずつ読み進めている。「そして頭蓋骨のなか、肉と髪に包まれた容器の内部では、生存しないということはできなかった」
小学校の先生は死に絶えた。山岸先生が読み上げた数式だけが火傷のように残されて、小説には嘘ばかりが書いてある。



#小説
※引用部分は、J・M・G・ル・クレジオ『大洪水』(望月芳郎・訳/河出文庫)