闘将02

闘将女子図鑑

 女の子の背中に青いブラジャーが透けているのを、なんとなく私は眺めていた。湿気のない病院の待合室。とても静かで、どの患者も永遠に名前を呼ばれそうにない。
 目の前に座る青いブラの女の子も身じろぎひとつしなかった。
 若い頃に子供を産んでいたら、自分にもあのくらいの娘がいたはずだ……なんてことを私は少しも考えておらず、どちらかというと若干エロティックな気持ちで観察していたのであって、もっと言うと、
「おお……生命の息吹」とか、「こいつ……動くぞ!」とか、「メイクアメリカ……グレートアゲイン!!」みたいな意味不明の熱を、見ず知らずの十代と思しき女の子から感じ取っていたのだ、私は。

 そのような不毛かつ崇高な時間を過ごしていると、自分が高校生の頃、柏木真砂子のブラジャーが透けているのを今と同じように後ろの席から眺めていた日があったことを、いつしか私は思い出していた。
 そもそも当時の私は頭がおかしかった。完全に気色が悪かった。なにしろ「柏木真砂子の体内にはとても小さな逆さまの三角錐が据えられており、それはどの内臓とも抵触することなく、最深部で燦然と光り輝いている」という、隅から隅まで意味のわからない空想に取り憑かれていたのだから。
 はじめに三角錐があった。その場所にあとから柏木真砂子は肉付けされたのだ。この「はじまりの三角錐」が決して傾かないように設計されているからこそ、彼女の身体は奇跡のようにバランスが取れている。
 そのような妄言を当時のわたくしは頻繁に口走っておりました。
 心の中で。
 といっても、私は柏木真砂子に対してなにも特別な感情を持ってはいなかった。仲も良くなかったし、仲良くなりたいと思ったこともない。私は純粋に彼女の造形の美しさに畏敬の念を抱いていたのだ。
 ドガの描いた踊り子の絵画と仲良くなりたいと思う人なんて、いるだろうか?(いるかもしれない……)
 しかし少なくとも私は、柏木真砂子のすぐれた外見上のデザインにしか興味がなかった。
 席替えで彼女の右斜め後ろに位置することになった3か月間なんて、本当に最高だった。データ採取にうってつけの場所だったのだ。当時の私は、ほとんど無意識に、柏木真砂子の3Dホログラムを生成するために必要な情報を脳内に蓄積し続けていた。
 完全に頭がおかしかったから。

 柏木真砂子の背中にブラジャーが透けていたのも、私がその席に座っていた頃のことだ。夏の午後だった。水泳の授業のあとのけだるさが教室中に蔓延していた。
 白い夏服に浮かび上がる薄いピンクのブラジャーを、私はただ漫然と眺めていたわけではない。視覚から得られる情報をダウンロードし終えると、すべての布のデータを削除したまっさらの背中を想像し、それは熱いのだろうか、冷たいのだろうか、質感はどのような感じであろうか、というようなことを、いくぶんエロティックに、いくぶん深遠な心持ちで推量しつつ、しかしほとんど夢中になって観察していた。
 頭の中に、ゆっくりとジムノペディが流れだす。
 遠藤先生による数学の授業中だった。遠藤先生の顔は、かなり正確な真四角だ。一辺の長さがわかれば、ほぼ正確な顔面の面積を求めることができてしまう。求めないが。
 でも遠藤先生は、いかにも冴えないおじさんの先生、なのだけど、声はとてもかっこいいと私は思っていた。ソフトな声質なのに、ざらっとした引っかかりも含んでいて、発音はクリア。ほんのり色気みたいなものも感じさせて、しかし押しつけがましくはない。
 美しい数字の羅列と、それを適切に動かすための明晰なルールが、遠藤先生の声で淡々と教室に放たれ、私の鼓膜を心地よく揺らし続ける。
 脳内ジムノペディとの奇跡のようなマッシュアップ。

 目の前には透けたブラ
 柏木真砂子の薄い肩

 私の中の最も天国的な記憶のひとつといって良い。
 それを思い出していて、さらに思い出したのだが、というより、これから語る場面を、私は人生のさまざまな瞬間に何度も何度も何度も何度も思い出してきたのだが、私が柏木真砂子とクラスメイトだった頃、すなわち高校生だった頃、私には心の底から憎悪する3人の男子生徒がいた。
 彼らは女子全員のルックスにこっそり点数をつけて楽しむという陰湿な遊びに興じていたのだ。
 もちろん、おおっぴらにではない。偶然に私は彼らの会話を耳にしてしまった。映画やテレビドラマなんかで、偶然に誰かの秘密を聞いてしまうというような場面が多発すると一気に冷めてしまうものだけれど、そんな偶然は現実にも頻発する。私はサンタクロースの秘密も偶然に知ったのだ。目を瞑ったまま、爆発的な期待感で寝つけずにいた幼い私の耳に、それは突然飛び込んできた。サンタクロースの抱える巨大な秘密が。ほんの子供だった私は、12月25日の朝を迎えることなく、秘密の重さで危うく圧死するところだったのだ。
 まあ、それはどうでもいい。
 済んだことだ。
 話を戻す。

 3人の男たちは放課後の教室でその悪辣な話題に興じていた。忘れ物を取りに戻った私は、教室に入る寸前の廊下で、偶然にもそれを耳にしたのだ。

「柏木が85点はおかしいだろ。90点以下ってことはないよ」

 柏木。
 真砂子のことだ、とすぐにわかった。そしてそれが、柏木真砂子のテストの点数の話ではないということも。
 なぜなら柏木真砂子のテストの点数は破滅的に低い。
 そして柏木真砂子の顔は破滅的にかわいい。

「おれ、ショートの子には90以上つけたくないんだよね」「おまえの好み押し付けんなよ」「お互いの好みを尊重するのも大事だろ」「個人の好みを超越したところに、この女子図鑑の価値はあるんだよ」「じゃあ、まあ、全員の意見を総合して……」「91点くらいにしとくか」

 柏木真砂子・91点

「酒井はどうだろ?」「80点くらい?」「低い。ロリ巨乳ってのを考慮してない」「おれロリ巨乳って苦手なんすよ。なんかキメラみたいじゃないですか」「なんで敬語なんだよ」「あと、おまえの好みだけで採点すんなって言ったろ」「そうだよ。客観的に見ろよ」「客観的に見てもロリ巨乳は事実だろ」「その事実をどう評価するかって話」

 酒井真琴・82点

「田辺ちゃんは?」「田辺ちゃんはな~」「性格がとにかく可愛いからな」「性格が可愛いと顔も可愛く見えるんだよね」「でも純粋に見た目だけで言うと……」「またそれか」「あのメガネをどう評価するかってのもあるよ」「あと、田辺ちゃん意外とケツでかいよ」「それはいいことじゃん」「おれは良くないと思う」「ていうか、意外と、ってなんだよ」「うーん」

 田辺マナミ・69点

 ひとときも休むことなく、彼らは次々に女子に点数をつけていく。引っ越し業者みたいな手際の良さで。私はあまりのことに身動きが取れず、情けなくも廊下に立ち尽くしたままだった。

 松島めぐみ・52点
 藤陶子・84点
 辺見雅美・65点
 水無月佐和子・34点
 オーウェンス桂たまき・36点
 山野井頼子・79点
 真田先生・88点

「木村美沙」「文句ないね」「すべてが完璧」「かわいい」「エロい」「性格悪そうだけど」「でも、ちゃんと喋ってくれるよ」「喋ってくれるだけでいいのかよ」「喋ってくれるだけでいいだろ」「木村の写真集、だれか作ってくれないかな~」「そんなんあったら俺100万円でも買うわ。借金して。そして残りの人生は、その借金の完済を目標に生きる」「残りの人生で100万しか稼げないのかよ」

 木村美沙・93点

 聞いているだけで吐き気と眩暈が止まらなくなるような、長い長い呪詛の言葉のようだった。私の心も次第次第に汚染されていく。
 こいつら、
 最低の最低の最低の最低だ。
 ヘドすら出ない。
 ヘドすら出すのが惜しまれる。
 貴様らには、ヘドすら高級品だ!(仲間由紀恵の感じでお願いします)

 とか言ってる場合じゃなかった。
「村岡は?」
 感電したかのように私の体が大きく震える。
 村岡。
 私のことだ。

「62点?」「妥当だね」「でも背が高くてすらっとしてるよ、意外と」「意外とってなんだよ」「スレンダー好きなら70くらい行くんじゃね?」「行き過ぎじゃね?」「64にしとくか」「なんでもいいよ。次いこ」

 村岡由美・ 64点
(ただし地形効果、有利属性などの好条件下においては70点)

 私は無遠慮にドアを開けた。男子たちはぴたりと動きを止めた。私は無表情に彼らを一瞥し、自分の机から忘れ物のノートを取り出し、悠然と教室を出た。ドアを閉める。
 あっっっぶねー!
 という声と爆笑が、花火の音みたいに数秒遅れで廊下に響く。
 あぶねーって何だよ。
 ぜんぶ聞こえてたっての。
 すでに取り返しのつかないほど軽蔑完了だっての。
 女子にまったく相手にされていない30点以下の連中め。
 おまえたちの性格はすべて0点で、今後いかなる善行を積み、いかなる修行に耐えたとて、1点も加算されることはない。
 そして現時点でのおまえたちのルックスは、右から13点、21点、7点(ただし好条件下においては9点)だ。
 あと、彼らの中に、田辺マナミのことを気安く「田辺ちゃん」と呼べる関係性を築いている者など、ひとりも存在しなかった。
 憐れなゴミどもめ。
 私は激怒していた。必ず、かの邪智暴虐のゴミどもを焼却せねばならぬと考えていた。私には政治はわからぬ。エロスもわからぬ。けれども邪悪に対しては、人一倍に敏感であった。
 女子に点数をつけて遊ぶという行為の醜悪さや、私自身につけられた64点(ただし好条件下においては70点)というリアルさしかない生々しい点数が、しかし私の激怒の主原因ではない。
 真に私の逆鱗に触れたのは、柏木真砂子の評価が不当に低すぎるということについてだ。
 あの鬼ビッチとしか言いようのない木村美沙ごときに後れを取る柏木真砂子では、断じてない。
 柏木真砂子は私の人生に出現した人物の中で、最もレアリティが高く、最も美しい女の子なのだから。
 たとえ根源的に頭が悪く、成績が理論的には上昇しないことを運命づけられた個体なのだとしても。
 私なら彼女の容姿に98点をつける。
 なぜ100点ではないのかというと、私が柏木真砂子の裸を見たことがないからだ。水着は見たことがあるけども。着替えもちらちら見たことはあるけども。しかし体を隅々まで観察したわけではない。未知数の部分が相当に残っている。その部分をもし拝見することが叶ったならば、柏木真砂子はこのゲームの歴史はじまって以来の100点越えを実現してしまうかもしれない。
 って。
 いやいやいやいや。違う違う違う違う。
 私自身がこの俗にまみれた最低の女子点数付けゲームに興じ、あまつさえその歴史に権威を感じてどうする。
 最低の最低の最低の最低か。
 私は二度と柏木真砂子を数値化して評価したりしない。
 と、このとき誓った。
 にも関わらず。
 私はこのあと、長きにわたって柏木真砂子を駒として扱い、自在に使役し、並み居る強敵たちとデュエルさせてきたのである。
 病院の待合室で、見知らぬ女の子のブラジャーを何となく眺めている、今の今の時点まで。

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 最初の戦闘は大学に進学してすぐの4月だった。
 上京してひとり暮らしをはじめた私は、最寄りのコンビニに宅急便を出しに向かった。
 そのとき私の対応をしてくれたのが、谷川夏海さん(胸のネームプレートに記載されているのが本名であれば)だ。
 洗練の極みとしか言いようのない都会的な明るいボブヘアを所有する谷川さんを見たとき、直観的に、やばい、と思った。
 田舎では無敵だったあの柏木真砂子に迫る美貌を持つ女が、都会にはごろごろしているのだろうか?
 宅急便に貼る伝票を渡すとき、谷川さんの手と私の手がふれあった。
 ひんやりとした冷気。
 やばいやばい。
 顔を上げる。そこには、思わず胸をかきむしりたくなるような、鮮烈な谷川さんの笑顔があった。
 私の最強の持ち札である柏木真砂子と、どちらが美しいだろう?
 と思った瞬間、
 それははじまっていた。
 デュエルだ。
 私は脳内の記憶をかき集め、精密な柏木真砂子の像を目の前に精製する。
 体内の中心部には光り輝く三角錐。
 状態は万全だ。
 シンプルな細身の長剣を構えて対峙する柏木真砂子と谷川夏海さん。
 大音量で『熊蜂の飛行』が流れだす。
 軽やかな身のこなしで剣を振り、躱し、受け流し、打撃を与えあうふたり。
 火花が散るたび、彼女たちの容姿に関するデータが、バックグラウンドで厳密に比較検討されている。

 谷川夏海・90点

 柏木真砂子の剣が谷川さんの腹部を貫通した。
 膝をつく谷川さん。口から大量の血液が吐き出され、それはコンビニの清潔な床をすっかり深紅に塗り替えてしまう。
 勝った……。
 私は全身が痺れるような、圧倒的な充足感に浸っていた。
 柏木真砂子は谷川夏海を撃破し、私の中のランキング1位を死守したのだ。
 そしてこれが、長い長い戦いの歴史における、柏木真砂子の記念すべき公式戦初勝利だった。

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 なんのことはない、私は柏木真砂子を脅かすほど美しい女性を見ると、無意識に心の中で数値化し、それが本当に柏木真砂子を上回る美貌かどうか? というのをいちいちチェックするような女になってしまったのだ。
 最低の最低の最低の最低だ。
 当の柏木真砂子とは、そもそもほとんど会話すらしたことはないし、卒業してからは一度も会っていないというのに。

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 デュエルのはじまりはいつも唐突だった。「敵はいないか」などと注意深くさがしても相手は見つかるものではない。油断しているときに限って現れる。
 角を曲がったところで。満員電車で。銀行の受付で。信号待ちで。路地裏の窓で。向かいのホームで。桜木町で。こんなとこにいるはずもないのに……。と思いきやどこにでもいるのだ。銀だこに。ジェラピケに。交差点に。夢の中に。ノースダコタ州北部の街マイノットの片隅に。インスタに。
 どこに火種があるかわからない。
 どこでだってデュエルは可能だ。
 マフィア映画と同じ、これは一瞬の隙が命取りの、血で血を洗う抗争なのだ。

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 大学2年生の夏。薬局で買い物をして店を出ようとすると、突然大雨が降り出した。呆然と雨宿りしていると、横から傘が差し出される。びっくりしてそちらを見ると、すぐ近くに、その薬局の制服を着た女性が立っていた。
 長い髪をひとつにまとめ、背が高く、さっぱりとした顔立ち。耳が大きく、目は魅力的なアーモンド型で、唇は色がうすくて厚みがあった。
 不意打ちの美。
 いつしかショパンの『雨だれ』が聞こえはじめている。
 私は突然のデュエルに慌てていた。
「お店の傘ですけど、どうぞ」
 目を細めてにっこりすると、彼女はさらにぐいっと傘を私の前に突き出してくる。
 激しい動悸を意識しながら、私は取るものもとりあえず、私だけのデュエリスト・柏木真砂子を召喚した。
 敵は地の利を生かして横合いから攻撃をしかけ、なおかつ油断したところを突く、という奇襲の条件を満たしている。
 明らかに彼女本人の実力よりも攻撃力が高い状態だ。
 私はそれらの、敵にとっての好条件をキャンセルするため、柏木真砂子に、貴重な私の【思い出】をひとつ付与する。

思い出・034
【修学旅行のときだった。宿泊するホテルの部屋割りはくじ引きで決まり、通常は4人部屋に振り分けられるのだが、私と柏木真砂子は幸か不幸か、当たりか外れか、余った2人部屋をあてがわれた。
 真砂子は他の部屋に遊びに行くでもなく、私との会話を楽しむでもなく、早々に眠ってしまった。私は落ち着かない気分で、寝返りばかり打っていたのだが、いつのまにか深く眠っていたようだ。起きたのは真砂子のほうが早かった。目を覚ますと、私のベッドに柏木真砂子が腰かけていたのだ。
「寝言いってたよ」と真砂子がくすくす笑っている。
「うそ」「すごいはっきり言うタイプなんだね」「なんて言ってた?」「椅子なくなるだろ、走れよ!」「え?」「って言ってた。2回も」「……何の夢だ? 椅子がなくなる? 椅子取りゲームか? いや……他人に走れって言ってるわけだから、椅子取りゲームの応援をしているのか……? だめだ、何も思い出せない……」
 頭を抱える私に「おもしろ」というつぶやきを投げかけて、ふふふ、と笑い、真砂子はベッドから立ち上がると、カーテンを開けて窓の外を見た。
 その一連の動作のなめらかさ。温度の低い笑い声。旅先のカーテンから射し込む、旅先でしか見られない光……】

 真砂子の持つ細い長剣に光が宿る。光がはじける。光がバトルフィールドを覆い尽くす。
 たちまち薬局の店員(名称不明)との戦闘条件はフラットになった。
 奇襲による特殊効果はリセットされたのだ。

 unknown(薬局の店員)・87点

 柏木真砂子が剣を横薙ぎに一閃すると、店員の胸はきれいに裂かれ、溢れる血の海にたちまち彼女は飲まれた。
『雨だれ』の演奏は終了し、現実の雨音が私の聴覚に取り戻される。
 完勝だ。
 私はお礼を言ってその店員さんから傘を借り、翌日にお礼を言って傘を返した。そのさい、彼女の担当するレジで頭痛薬と歯磨き粉を購入した。

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 私と真砂子のコンビは連戦連勝だった。
 いくつもの印象的なデュエルをこなし、私たちの絆はこれ以上ないほどに深まっていく。
 以下、当時のデュエル日記から一部を抜粋して紹介しよう。

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 安納梨花・86点(飲み会に誰かが連れてきた学芸員見習い。ロリ巨乳。ある種の男であれば95点を付けたかもしれない)

 山崎亜紀絵・90点(銀行員。私の大学時代の友人。一時はふたりで高円寺に引っ越すほどの仲だったが、しだいに険悪になり、行きつけのピザ屋を出禁になるほどの大喧嘩をして絶縁。デュエル自体は、仲の良かった頃に行われた。性格は12点)

 unknown・89点(碑文谷の住宅街ですれ違った紺のノースリーブワンピース、白いキャップの女。おしゃれなシャッター前で自撮り中にこちらからデュエルを仕掛けた。圧勝)

 unknown・91点(歯科助手、内巻きボブ、黒縁メガネ。森や、川や、野外フェス会場などでは、プラスの地形効果を得られるだろう。もちろん、歯科助手の制服じたいが最強レベルのアーマーのひとつだ)

 高村岬・94点(女優。駒沢公園でシーズーの散歩をしているところを偶然見かけた。柏木真砂子とのデュエルに敗れた2週間後、覚醒剤0.3グラムを所持していたところを現行犯逮捕)

 松尾イレーヌ・92点(アルジェリア系フランス人の父と、関西系日本人の母を持つハーフ。めっちゃいい匂いがした。それも含めると94点)

 unknown・87点(スキー場で見かけた正体不明の金髪の女。柏木真砂子とのデュエルに惨敗後、スノボでも大転倒。骨折したと思う)

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 大学卒業後、私は輸入雑貨のチェーン店に就職した。
 入社半年が過ぎた頃、本社から指導のため臨店した女というのが、今でも思い出すほどの強敵だった。
 ひと目見た瞬間、
「こいつ……もしや、体内に神秘的な三角錐を有している……?? 柏木真砂子と同じように!!」
 という、きわめて馬鹿馬鹿しく、きわめて新鮮な種類の恐怖が私の中に渦巻いた。それほどに全体のバランスがよかった。
 横溝マリ。33歳。
 それが敵の名前だ。
 気後れしながら挨拶をかわしていると、脳内に音楽が流れはじめる。
 ラヴェルの『ダフニスとクロエ』だ。
 もう逃げられない。
 私はやむなく柏木真砂子を召喚する。
 しかし敵は熟練していた。柏木真砂子のホログラムが完全に像を結びきらないうちに、戦闘態勢に入ったのだ。強烈なひと突きが真砂子の喉もとを狙う。すんでのところで右に転がり、真砂子は難を逃れた。
 しかし起き上がろうとした真砂子に吹雪のような乱撃が降りかかる。
 横溝マリの得物は刺突用のレイピア。しかも二刀流だ。
 真砂子は躱すだけで精一杯の防戦を強いられる。耳の上の髪が数本切られて舞い散った。
 まずい。
 私はかつてない焦りを感じていた。
 私の脳内には18歳までの柏木真砂子しか存在しない。
 年齢が停止しているというのは、私の使役する柏木真砂子の完璧さでもあり、脆さでもある。十代の、繊細で、神々しく、実体の背後に可能性だけを想像させる架空の美しさ。奇跡のようなその瞬間を、そっくりそのまま保存できてはいる。けれど、年齢を重ねることで、実際に得たり失ったりするはずのさまざまな能力を、すべてごっそりカットしてもいるのだ。
 横溝マリは、真砂子にはない武器や戦法をいくつも所持していた。
 乱れ打ち、一人時間差、回天剣舞六連、酔拳、毒手拳、毒霧、毒ガス、手榴弾、払い腰、袖釣り込み腰、火計、連環計、二虎競食の計、駆虎呑狼の計、ビンタ、往復ビンタ、腹話術、たまに優しい、かと思うと、往復ビンタ、それも六連……。
 変幻自在な攻撃に、真砂子は細身の片手剣で愚直に応戦するしかない。
 このままではやられる。
 私は絶望的な気分で、大切な【思い出】をひとつ、真砂子に付与する。

思い出・017
【高1の水泳大会でのこと。プールのスタート台に立った水着の柏木真砂子は、軽く腕をストレッチしていた。完璧に均整のとれた体つきは、体内に設置された光り輝く三角錐を想起させる。真剣な表情。柏木真砂子はリレーの最終泳者だ。理想的な飛びこみ。エレガントな水しぶき。どんな泳ぎ方で、どんな成績だったのか、じつは少しも思い出せない。私も夢中で声を上げて応援していたのだ。泳ぎ終えた柏木真砂子はプールから上がり、水滴を払い、満面の笑みで友人たちの祝福を受けていた。そこから私の記憶は更衣室に飛ぶ。薄暗く湿った部屋で着替えをする柏木真砂子。それを遠目に盗み見ている私。なぜか周囲には誰もいない。私は彼女の泳ぎを賞賛しようとして、それができなかった。何も言わずに黙々と着替える私たち。私は心の中で何度も唱えていた。お願い、これから先、何ひとつ変えないで……と】

 若さと美しさは無関係だ。
 しかし失った若さを、誰ひとり取り戻すことができない。
 何とかして若さにしがみつこうとする者は多くても、誰ひとり、本当に若さを失わずにいた者はいない。
 歴史上の誰も。
 必ず失われ、そして二度と取り戻せないものの貴重さを、誰も否定することはできないのだ。
 たしかに横溝マリは、柏木真砂子がまだ獲得していない種類の美しさをいくつも身につけていた。
 しかしそれは、いつか柏木真砂子が獲得する可能性の高い美しさだ。
 すべての【経験することで得られる能力】は、私たち全員に獲得の可能性が残されている。
 若さだけが、1秒ごとに失われて、二度と戻らない。

 剣での撃ちあいは次第に互角になり、拮抗し、いまや膠着していた。
 勝負は結局、純粋に、持って生まれた造形美で決まる。
 若さも経験も武器にはなり得ない。
 というより、もともとこれは、そういう戦いだったのだ。
 あの冴えない俗物の男子3人組が「自分の好みを入れるな」と繰り返し語っていたように。
 現時点での数値化された美を競う、冷酷なデュエル。
 言い換えれば、最低の最低の最低の最低の戦いだ。
 私のアナライズが完了する。

 横溝マリ・97点

 柏木真砂子の眼光が鋭くきらめく。
 横溝マリが巧みにあやつる2本のレイピアの雨を、絶妙の体さばきでくぐり抜けると、真砂子は、精密な一閃で相手の喉をあざやかに掻き切った。
 のけぞって後ろに倒れる横溝マリ。
 首から噴き出す鮮血。
 まるで高層ビル群だ。
 ミニチュアの都市。
 私たちの住む街。
 静かなオフィス。顔に浴びた返り血を、真砂子は右手で荒々しく拭った。

 横溝マリの敗因は肩幅だった。
 それは理想的な数値にわずかに届かなかったのだ。
 しかし、その「理想的な数値」を誰が決めているのだろう?
 私だ。
 結局、私は学生時代にスキャンした柏木真砂子のモデリングデータを美の到達点と定めて、その数値、そのバランスにいかに近づくことができるか? という観点からしか、見た目の優劣を決定することができない。
 すべて、最初から結果のわかりきった戦いだったのだ。
 柏木真砂子に勝てるのは、成長した柏木真砂子以外に存在しない。
 しかし私は、私の中の柏木真砂子を1秒たりとも更新してこなかった。
 ひょっとすると私は、あの3人の男の子たちに見せつけてやりたかっただけ、なのだろうか?
 柏木真砂子の本当の力を。
 今となってはわからない。
 最低の最低の最低の最低の戦いに、私も真砂子も疲れ切っていた。

 死力を尽くした本格的なデュエルは、これが最後だったと思う。
 それでも私は、美しい女性が現れるたびに簡易的なデュエルの場を設け、自動的に柏木真砂子と比較するようなことをしていた。
 習慣というのは恐ろしい。
 今や私はあの3人の最低男たちの精神的な一味なのだ。
 本当、最低。

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「柏木さん」と呼ぶ声がして我に返った。私は病院の待合室にいる。
 目の前の青いブラジャーの女の子が立ち上がった。
 この子も柏木さんというのか。
 横顔がちらりと見える。
 とてもきれいな女の子だった。
 当時の柏木真砂子と、どちらがきれいだろう?
 かつてないほど穏やかな気持ちで、私は柏木真砂子の召喚態勢に入った。
 柏木真砂子。
 私が知っている中で、いちばんきれいな女の子。
 最初に見たときからそう思っていた。
 可愛いな、と思う子を見るたびに、「でも真砂子のほうが勝ってるな」と内心で比較していた。
 最初はその程度の、幼く、可愛らしい試みだったのだ。

 この子にも勝ってる
 あの子にも勝ってる

 私の心の中で連戦連勝の柏木真砂子。
 高校を卒業してから一度も柏木真砂子を見ていないのに。
 勝負を続ける。
 真砂子に負けて欲しくない。
 無理やり理由をつけて勝たせる。

 青いブラジャーの【柏木さん】が私の前を通りすぎた。
 柏木真砂子は病院の待合室に現れなかった。
 召喚に失敗したのだ。
【柏木さん】とのデュエルは開始されない。
 真砂子の顔を、本当はもう、何年も前から、ちゃんと思い出せずにいる。
 古い写真と古い記憶に頼っても、精度は徐々に落ちていく。学生時代のデータ保存領域は、もう読み取れないレベルにまで劣化しているのだ。
【柏木さん】は受付で薬を受け取っている。短いスカートからまっすぐに伸びた脚に、なんというか「脚!」という強烈な存在感が宿っていた。
 すごい迫力。
 未完成な美。
 私はなんとなく、すべてに納得がいってしまった。
 今日でもう終わりにしよう。
 長年の相棒だった最強無敗のデュエリスト・柏木真砂子を、静かに眠りにつかせよう。
 おやすみ、真砂子。
 私たちはふたりとも歳を取った。
 別々の場所で。
 別々の顔で。

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 しばらくすると私の名前も呼ばれた。私はこの病院で頭痛薬と睡眠薬を定期的に処方してもらっている。
 医者の背後にふたりのナースが控えていた。
 67点と73点。
 ただし67点のほうは、地形効果や有利属性など、好条件による特殊効果がうまく発動すれば、80近い得点を叩き出す可能性を秘めている。
 私に似たタイプだ……。
 って何様だよ。
 最低の最低の最低の最低か。
「最近は、お加減はいかがですか?」と医者が私に言った。まるでお婆ちゃんに言うみたいな優しい問いかけだ。
「最低」
 と少し笑いながら答えたけれど、私の声は小さすぎて、この世の誰にも聞こえなかった。




#小説

 有料ゾーンには、失われた【思い出】がひとつ置いてあります



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闘将女子図鑑

灰谷魚

100円

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小説置き場として利用しています。たまに増えます。 sakana2177@gmail.com