不揃いなマトリョーシカたち⑧「故郷」


 人生で初めて新幹線に乗り、新大阪でJRに乗り換えて兵庫にやってきた。
 見慣れた駅前の風景のはずだが、少し印象が違って見えるのが身長のせいだと気がついた。思い出すこともなく、自然と脚は覚えている道を歩いていく。通りすがりの女子高生の集団と目が合い「かっけぇ~」と隠すことなく大きな声で感想を言いたくなる気持ちはわかるが少し照れてしまった。彼女らは、駅前の大きなショッピングモールに遊びに行くのだろう。
 バスに乗って数分、住宅街に到着すると6階建てのマンションのエントランスに入った。そこからはオートロックのために鍵を持っていない私は中に入ることができない。のだが、実はメールルームの横に管理人が通り抜けるドアがあり、オートロックの解錠が面倒な住民はそこから入ることもある。
 難なく中に入るとエレベーターに乗り、3階の一番南側の部屋の前に立った。緊張しながらも意を決してインターホーンを押す。シフト制の仕事だが今日は休みのはずだ。もし彼がいなくても新谷はいるかもしれない。そう思いながら待っていると、インターホーンから聞き慣れた声で「どなたですか」と聞こえてきた。
 私は加瀬から勝手に借りてきた名刺を読み上げ「同居されている方が詐欺に遭われたと伺い、詳しいお話を聞きたいと思っております」と伝えた。
 男は数秒の無言のあと扉を開けた。私は加瀬の名刺を見せ、彼が名刺を取ろうとする前に上着にしまった。この男の手元に加瀬の情報は残しておきたくない。
「詳しい話ったって、今はおりません」
「買い物ですか?」
「いや、まあ……、出ていきました」
 私は一瞬言葉を失い、次のセリフを発するために時間がかかってしまった。怪訝に思われただろうかと不安になったが、男は気にせずに続ける。
「ちょっと前まで入院してたんですけど、退院したときに捨てられたんですわ」
「そうですか……、いつ頃いなくなりましたか」
「退院が2週間前やから、そのぐらいですね」
「わかりました。ご協力感謝します」
 そう言って軽く頭を下げてから、改めて男を見る。
 不思議だった。あんなにも恐怖を感じていた男は、今はとても小さく見えてしまう。実際に新谷より身長が低いのと痩せているせいかもしれない。
 私はこんな人に支配されていたのか。
「もういいですか?」と言って、男はやましいことを隠すように早々に扉を閉めてしまった。
 マンションを後にしながら、男のセリフや態度を考える。新谷の性格を考えるとあの男に暴力を振るわれて黙っているとは思えなかった。反抗した挙げ句に殺された、なんてことはないだろうかと一抹の不安に襲われる。自分の肉体を殺そうとしていたはずなのに、中に新谷がいることでこんなにも生死の心配をすることになろうとは。しかし、男は「出ていった」と言っていた。
 試しに縁を切ったはずの実家にも電話をかけてみた。電話に出たのは母だったが、私はクレジットカードの支払についてなどと適当なことを言ったが、そこでも母は「何年も話してません」と言って電話を切った。実家にも帰っていない。それはそうか、新谷は私の実家など知らないのだ。
 落ち着いて考えてみる。
 そう、身体は私でも中身は新谷なのだ。
 新谷が行きそうなところは、加瀬の家ではないだろうか。
 しかし、2週間前にここを出ていったとなると、もし本当に加瀬の家に来たのならすでに東京には来ているはずだ。
 見た目が違うから、会えずにいたのか。
 一体、新谷はどこにいるのだろうか。


 置き手紙は書いてきたが、心配しているであろう加瀬にメッセを送った。するとすぐに電話がかかってくる。
『よかった、もう帰ってこないと思った』
「帰ってくると手紙書きましたよ」
『ちゃんと読んだけど不安だった』
 すみません、と謝ると『一人で探しに行ったんだな』と返ってきた。
「いませんでした」
『いない? 新谷が?』
 かつての同棲相手の場所にも、実家にもいないことを伝えると加瀬は『だとすると、東京に来ている可能性もあるな』と同じ考えにたどり着いた。私よりも新谷のことをよく知っている加瀬が言うのだから間違いないだろう。
 一応、殺された可能性についても話してみたが『あいつに限って絶対にない』と言い切った。
『俺の予想じゃ、その同棲相手をボコボコにして出ていったんじゃねぇかと思ってる』
 とりあえず一旦戻ると伝え電話を切り、タクシーを拾って駅に向かった。
 新大阪でお土産を吟味していたのと、東京行きのチケットを取るのに手間取ってしまい買えると深夜を回っていた。加瀬は扉を開けた途端に「おかえり」と駆けつけてきてハグとキスをしてきた。
「ただいま、すみません急に出かけてしまって」
「いや、もう帰ってきてくれただけでいい」
 何度もキスを繰り返す加瀬を宥めながら、買ってきたお土産をテーブルに並べると「おー、肉まんだ」と言うので「豚まんです」と訂正しておいた。
 疲れた身体を癒そうと風呂に向かうと、何故か加瀬もついてきて衣服を脱がし、そしてシャワーを浴びながら一度、脱衣所の鏡の前で一度した。おかげでシャワーを浴び直す羽目になった。毎回思うのだが、二回目の復帰が早い気がする。加瀬もこの身体も。
 豚まんを温め直し辛子をつけて食べながら、かつて同棲していた相手を見て思ったことを伝えた。
「相手も所詮は普通の人間だったと思えるぐらい洗脳は解けたってことなんだろうな」
「そうなんでしょうね。でも、あんなに貧弱な人だったとは」
「女から見れば、貧弱そうな男でも暴力振るわれたら怖いだろう。恐怖の対象は実物よりも大きく見えるらしいしな」
「そうなんですか」
「ああ、だから被害者に被疑者の特徴を聞くときも、少し小さめに見積もることもある」
 新谷の行方は加瀬の方でも捜索してくれるらしいが、親族が捜索願を出してない限りはあまり国家権力を行使しての捜索はできないようだった。それでも、知り合いの探偵などに頼んでみるようだ。
 新谷は今、どこにいるのだろう。
 ちゃんと暖かい場所にいるのだろうか。
 眠れているのだろうか。
 布団の中で、加瀬のぬくもりに罪悪感を感じながら私は新谷の幸せを願っていた。


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