不揃いなマトリョーシカたち⑦「身勝手」

 俺は約束通り食後の皿洗いを済ませて、シャワーを浴びた後にリビングに戻ると、トオルは残った食材を冷凍保存しているところだった。先にソファに座って「おいでおいで」と両手を広げるが、トオルは両手の中には入ってこず隣に座った。「違う違う、ここ」と自分の太ももを指すと、トオルは「どう座れば」と首を傾げたので「そりゃ、こう正面からドーンと来い」と再び両手を広げて待った。
「どうしても俺のことが嫌いなら強要はしねぇけどな」
「そう言うのは卑怯って言うんですよ」
「俺のことが嫌いで嫌いでしょうがないなら選択肢に迷うことはねぇし、それは卑怯じゃねぇだろ」
 我ながら卑怯なことを言っている自覚はあったが、トオルを失うかどうかの瀬戸際にしのごの言ってられない。
 トオルは珍しく唸りながら迷っていたが、やがて向き合う形で俺の膝を跨いだ。
「よしよし、懐いた懐いた」
 トオルの頭や背中を撫でくりまわし、頬や首筋にキスをして褒めてやる。するとトオルの下半身が小さく身悶えし、俺の腹に固くなったそれが当たるのを感じた。
「男の身体って正直だろ」
「女性とは違う意味で面倒だなと思います」
 耳まで赤くなって照れる様子のトオルが可愛すぎて死にそうだ。
「男の身体になって、性の違いにストレスは感じないか? 他人の身体とは家、性同一性障害に近いんじゃねぇかと思ってんだが」
「私もそれは不安でしたが、性の違いによるストレスはほぼありませんでした。むしろ、男性の身体は楽だなと思うこともあります」
「へぇ、例えば」
「お米を軽々と持って帰れること、力の差は歴然としています」
「はあ、確かに」
「後は、街中で歩いていると弱者に見られないので平和です。前はたまにわざとぶつかってくる人もいましたが、今はそんなことないですね。地域性もあるかもしれませんが」
「新谷は身長もそこそこあるし、あまり絡まれないな」
「何より生理がないことが楽ですね。引き換えに子供が産めなくなりましたが」
 さらっと重要なことを流すように言うので、聞き流しそうになってしまった。そうだ、一番の違いといえばそこなのではないか。
「そこはショックだったろう」
「何でしょうね。そうでもありません。元々産みたいという願望がなかったからでしょうか」
 そんなものなのか。いや、同期の女性警官たちを見ても、結婚願望が強い者もいたが、一生独身が良いと言い出す者もいる。現代ではそれも多様性の一つとして受け入れられてきたが、身勝手な理由だがこうしてポジティブに働くとは驚いた。もし、トオルがもっと元の身体に執着があったのなら、激しいパニックを起こしていたのではないだろうか。そうすると、俺の見立てにも信憑性が出てくる。
「さっき、俺はお前の身体を探していると言ったよな」
 トオルは黙って頷いた。
「新谷が事故を起こした日に、自殺者を調べていた。過去に脚の骨折を経験しており、日常的に暴力を受けている成人女性。関東ではヒットしなかったが、それはお前が関西の人間だったからだ」
 トオルは同じように黙って頷く。
「俺は明日にでも関西の救急病院を片っ端から問い合わせるぞ。そうすればお前の身体は見つかるはずだ。でも、できればお前の口から聞きたいと俺は思うよ」
「……きっと、幻滅します」
「それは、好きな人に本当の自分を知られたくないって意味と捉えていんだな?」
 トオルは首を縦にも横にも振らずに俯いた。トオルの心情的には、俺がゲイで自分が女だからとか、新谷の感情とか、そういう複雑なことが絡まって解けなくなり自分では結論を出せないでいるのだろう。
「好き嫌いっていう感情は理由なんかねぇんだ。大体は直感で決まり、理由は後付けに過ぎない。俺はお前が好きだ」
「けど、新谷さんが……」
「新谷の顔は好きだけどな、俺は別れるつもりでいたんだ。あいつが本当は俺のことを気に入ってくれていたのも知っている。愛してるかはわからんがな。けどな、身体の相性は良くても、性格の相性が悪すぎた。お前だって経験あんだろ」
「私の場合は、身体の相性も最悪でした」
 俺は思わず吹き出して「なら、俺とは?」と聞くと「さあ?」と、少し拗ねたようにトオルが返すもんで俺は天を仰いだ。
「新谷さんは加瀬さんのことが好きでした。それはわかるんです。でも、そうですね、好きでもうまくいかないこともある……、好きがただの依存や執着に変化してしまうことも知っています。私がそうだったように」
 暴力を振るわれている人に「なぜ逃げないのか」と言うが、DV被害者は加害者によって洗脳を受け依存させられる。自分はどこにも行けないのだと思い込み、絶望の末に自死に走ることも少なくはない。
「けれど、もしものことを考えると素直に今の幸せを受け入れられない。もし元に戻ったら……、またあの生活に戻るのは嫌です。このまま戻らなくても、じゃあ新谷さんは? 彼はどうしたのか気になって罪悪感を持ち続けたまま生きることになります」
「だったら、お前の身体に会いにいくしかねぇんじゃねぇか」
 トオルもそれは理解していたらしいが、決心がつかなかったのだろう。会って、新谷に何を言われるのか。そもそも新谷ではなかったときのショックも大きいだろう。だが、確認しなければ、どの考えもただの妄想に過ぎない。
「そうですね、会わないといけませんね。こうしていつまでも逃げては新谷さんにも、加瀬さんにも申し訳がないです」
 じゃあ次の休みに行こう、と俺は言ってトオルの額に自分の額をくっつけた。
「な、敬語やめねぇ?」
「もう、身バレしてるので敬語で話しても無駄なんですよね」
「そうそう、もっとお前を知りたい」
 できれば名前も、お前の口から聞きたい。そう俺が言うと、トオルは逡巡したあとに「その名前で呼ばないと約束してくれたら」という条件のもと、トオルの口が耳元に寄せられた。
「ありがとう、教えてくれて。お礼にキスしていいか?」
「それは誰へのお礼なんでしょうね」
「なら、敬語で話すたびに罰ゲームでキスする。はい、今敬語で喋ったから一回な」
「え、今のはノーカンでしょう」
「はい、二回目」
 一度目は軽く啄むように、二度目は後頭部に手を添えて深く。
 新谷のことを散々クズだクズだと罵っていたが、自分も変わりゃしない同じクズだ。トオルがいつまでも新谷の身体にいてくれたらいいと願っているのだから。
 トオルの言うように、いつ元に戻るかわからない。元に戻っても、俺はトオルを迎えにいくだろう。俺は女を抱くことができないくせに。
「トオル、俺はトオルを抱きたい。お前は俺が新谷を抱いていると思っていたようだが、それは違う。今朝はトオル、お前を抱いていた」
 抱きついたまま「うん」と言ったトオルの背中を撫で、下着の中に手を入れると「ここはだめ、汚れたら掃除が大変」と現実的なことを言うのでベッドまで運んであげた。
 今朝は少し焦ってしまったが、今度は全身全霊をもって手先と口を使い愛撫した。途中、お互いに口の中に射精したが、欲情は治まることなく俺はすでに蕩けきった中へと入った。「電気つけていいか」と聞くと「いいよ」と言う。外したはずの眼鏡をつけたトオルは「せっかく明るいので」と言う。「何が見たいんだ?」と聞くと「加瀬さんの顔と繋がってるとこ」と言う。あまりにもすけべすぎてイキかけた。もっと大人しいタイプかと思ったが、床では変貌するタイプと見た。
 感じるところは一緒かもしれないと思い、浅い箇所を何度も突くと喘ぎながら潮を噴いた。あまりのすけべにイキかけた。いや、もうイッたので慌てて奥まで突っ込んだ。
 明日が休みなら朝までコースだったのになぁ、などと後ろ髪を引かれながら電気を消し、トオルを抱いて俺は深い眠りに落ちたのだった。

朝起きると、トオルの姿が消えていた。

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