不揃いなマトリョーシカたち⑨「手紙」

 頬を撫でる風に春の息吹が混じってきた頃、加瀬の家の中には新谷の私物と言えるものは古本だけになってしまった。本も売っていいと加瀬は言うが、何となく売る気になれず、時間が空いた時に読むようにしていた。そのほとんどは私小説と呼ばれるジャンルが多く、作家の半生を主人公に映したものだった。書かれている内容の一言一句が真実ではないにしろ、他のジャンルよりも作家の経験や思想が色濃く表現されているように感じた。難しい単語はスマホで調べるようにしていたが、これだけの量を読んでいたと言うことは新谷はスマホでいちいち調べなくてもすんなりと読めたのだろう。
 私小説は、非日常的なアングラのような世界に浸っている主人公もいれば、どこにでもあるような日常的な中で建前とは違う人間の本音が描かれている。
 新谷は何を感じながら、これらの本を読んでいたのだろう。
 窓際に集まる陽だまりの中でホットココアを飲みながら読書に耽っている時だった。テルちゃんから連絡があった。新谷の知り合いの中で、唯一連絡を取り合っている人だ。彼女は多様性に寛容というより、細かいことは気にしないタイプなようで「好きなら仕方ないっしょ、ヤルしかあるメェ」と私と加瀬との関係を応援してくれている。
『どうしても手渡したいものがあってさー(汗絵文字)今日時間ある?』
 今日は加瀬は当直で帰ってこないため、いつでもいいよ、と返事すると『じゃ、今からカフェで』と返事が来た。
 スプリングコートに着替えて、テルちゃんお気に入りの台湾カフェに向かうと、すでにテルちゃんはテラス席にいた。暖かくなってきたせいか、さらに露出の高い服装になっている。だが、小柄な彼女が着るとセクシーというより可愛いという印象が強い。
 レジでジャスミンミルクティーを注文してから席に座ると「タピってないじゃん!」と突っ込まれた。タピオカはすぐにお腹いっぱいになるので抜きにしてもらっている。
「ところで、渡したいものって?」
 テルちゃんはタピオカをちゅるちゅる吸ってもぐもぐしてから話し始めた。
「これ、はい」
 と、唐突に真っピンクなハートマークが入った封筒を差し出した。
「ラブレター?」
「さあ、知らんけど……。ほら、うち、パン屋で働いてるじゃん」
 テルちゃんは実はちゃんと製菓学校を卒業し、今は新宿のパン屋で修行の身なんだそうだ。人は見かけによらない。
「今度また買いに行くね」
「ありがとぉー愛してる。それでぁ、いつだったか忘れちゃったんだけど、寒ーい日の朝に店の前で倒れてる女の子がいたわけ。いや、どこの童話よって感じ」
「女の子……?」
 心臓が高鳴る。寒い日というから、冬の出来事に違いない。
「しょーがないからうちに居候させてんだけどさ、なんかぁ、初めて会った気がしなくて。なんていうの、ソウルメイト? 的な? だから正式にシェアルームしてんの。うちも家賃と光熱費半分になってうれしーって感じ」
「その子の名前は?」
「えー、その子が昨日、その手紙を亨に渡してって言ったんだよ。亨の知ってる子なんじゃないの? リオって言うんだけど」
 違う、いや、偽名を使っているかもしれない。
「ごめん、覚えがないかも。どんな女の子?」
「うーんとね、私よりちょっと背が高くて、拾った時はガリガリで何でかすごい怪我だらけだったの。詳しくは聞いてないんだけどさぁ。今は肉付きも良くなったかな。おっぱいもうちよりあるし。最近はメイクもちゃんとやってるしめっちゃ可愛いよ。あ、八重歯がチャームポイント」
 心臓の高鳴りがますます激しくなる。私の肉体と共通点が多い。
「読んでいいのかな」
「亨に渡してって言われたから、いいんじゃない?」
 震える手で封筒から手紙を取り出す。二つ折りにされた便箋も真っピンクでハートの模様が散りばめられていた。ゆっくりと開く。
 そこには、数行のメッセージ。

『この身体で絶対に幸せになってやる。お前も絶対に幸せになれ』

 新谷だ。
 リオは新谷なのだ。
 つまり、私の身体だ。

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