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続・カラス考

秋口、ひさかたぶりに朝帰りをした。陽がまだ真横から刺さってくるくらいの時間に駅から家までをてくてく歩いていると、なんだかカラスが多い。生ごみの日でもないのに変だな、おれの朝帰りがそんなに珍しいかとおもいつつ、あと家まで1、2分というほどの路地で、十数羽が電柱や電線にずらっと並んでとまり、そのうちの一羽がバサと飛んでわたしの頭の真上に来た。と思った瞬間、生ぬるい水分が降ってきてわたしのあたまを濡らした。コノヤロウとおもって見上げたら、実行犯はカア(やったぜ!)と大きく勝ち名乗りをあげて飛び立ち、見届けたほかの連中もカアカア(やったな!気分いいな!)と呼応し、カラスどもは全員飛び立ってどこかに消えた。
日ごろ、ごみ収集所を荒らすカラスを追い立てるのに、ごみ袋を投げたり、ダッシュで駆け寄る真似をしたりして脅しているわたしへの報復なのだろう。そう思ってその朝は帰宅し、すぐ寝るつもりだったが風呂に入って髪を入念に洗ってから、寝た。


その日以来、ごみを荒らしに来るカラスたちの様子が変わった。そう気づくのに数回を要したが、どう変わったかといって、それまでわたしがほんの数歩の距離に近づくまで漁っていたのが、遠目でわたしを認めると早々に飛び立つようになったのである。わたしをおちょくるような態度の奴はまったくいなくなり、襲ってやるまねごともできなくなった。いったいどういうことが起きたのだろうかと考えていて、思い当たった。
90年代のギャング映画「ザ・ヒート」の中で、アル・パチーノ率いる刑事のチームが、ロバート・デ・ニーロ率いるギャングたちの違法な取引が行われるという情報をキャッチしてとある港の倉庫まで勇んで出向くのだが、情報はガセで肩透かしを喰らうというシーンがある。ライフルのスコープから刑事たちの姿が映る。撃たれるのかと見る者に思わせておいて、アル・パチーノがはたと気づく。これは面割りであると。頭目のデ・ニーロが、追手の刑事たち全員の顔を確認したのだと。一部の映画通のあいだではひじょうに評価の高い名シーンである。


わたしの家周辺を縄張りにするカラスたちは、これをやってのけたということだ。おそらく、そうだ。どのカラスもわたしを確認できたら、そそくさと飛び立つようになった。これはつまり、情報の伝達である。小便をひっかけるというのは報復の意味合い(だけ)ではなく、こいつはアタマがおかしいから遠巻きにしておけ、顔をおぼえろという情報共有の方法だったのだ。
文明とは伝達である、と確か、どちらかの村上が書いていたような気がする。カラスはこの域に達するほどの知性を持つのだろうか。敵ながらあっぱれというほかない。
「ザ・ヒート」ではアル・パチーノとデ・ニーロのシビれるような頭脳戦も最後は白昼の銃撃戦になってしまうのだが、カラス相手に銃撃戦というわけにもいかない。これだけの頭脳をもつ相手にどうしたら、ごみを荒らされずにすむか。思案のし甲斐もあろうというもの。

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