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003『農林水産大臣賞級のおいしい納豆。少し社会派です』

※大阪弁で書いていおります。
読みにくかったらすいません。

「納豆なんてよー食うわ」

「あんなもの食べもんやない」

「腐ってるで」――――。 

納豆ギライな友達のひとことからプロジェクトは始まった。 

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はじまりのはじまり。 

久しぶりに友人5人が集まって大阪市福島区のイタリアンでごはん食べてて、誰がはじめに納豆のこと言ったか覚えてへんけど、たまたま一人を除いて全員が納豆好きで、「なんであんな美味いもん食べられへんの?」「あれ無かったら生きていけへんわ」 なんて会話が永遠続き、「ほんなら俺を納得させる納豆を見つけてこいや」と納豆キライな友人に言われて、「もちろんできるわ。ほんなら、せっかくやから、味やパッケージ、デザイン、 コンセプトなどあらゆること考えてびっくりするのつくたるわ。 しかも、納豆は 710 やから 7 月 10 日につくるんで、よう覚えといてやぁ」と、こどものケンカのような会話で、場がめっちゃ 盛りあがり、それをほんまやってみたいと思った福ちゃんと武ちゃんだけが、二軒目の店に行き、「それ実現しようや!!」 「せっかくやからオモシロおかしく番組もつくって、料理人や 納豆好きな人などにもいろんなこと教えてもらうって感じで やってみようや。で、最後は納豆の聖地に行く”納豆の旅”っぽい感じで えんとちゃう。でも本気でやってみよーな」なんて軽くて緩い本気 !? なプロジェクトがスタートしました。

地震が起きてからスイッチが入った。

2010.8に始まったプロジェクトはtwitterやブログで納豆の魅力をオモシロく自由気ままに伝えながら、7.10を目指していた。いろんな縁があり、イラストを荒井良二さんが描いてくれたり、テーマソングが必要だろうって音楽プロデューサーの杉ちゃんが曲を作ってくれたりと、力強い仲間が増えてきたが相変わらずゆるいままであった。年が明けて、ユメを叶えるプロジェクトに”納豆の可能性をもっともっと広げたい!”とエントリー。吉本の社長に「クリエーターが遊んでるだけのプロジェクトなの?」と言われながらも見事に合格した。その10日後、3月11日、第4回目の710TVの放送日であったが、放送は取りやめプロジェクトの今後を見つめ直した。

お家に帰って、ふと自宅の福島区から東北までの直線距離を測ったら、武ちゃんの友人がいる気仙沼まで"710km"であった。直ぐに武ちゃんに連絡して、僕らが目指す”納豆の旅”は復興につながるプロジェクトにしようと決めた。

カラフル納豆ができるまで。

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武ちゃんがtwitterを通じて、一つの企業とつながった。現在、カラフル納豆ををつくってくれている三重県の納豆製造メーカー小杉食品。農林水産大臣賞を受賞しているトップクラスの会社だ。

急いで企画書をもっていき、すぐに「一緒にやっていこう」とタッグを組むことができた。小杉食品の小杉社長には「東北のためになにかしたい、でも自分たちが納豆送っても焼け石に水。なにもできなくて歯がゆかった」という憤りがあったそうで、そこからプロジェクトは一気に加速しました。

どんな納豆を作ろうかと悩んでいた時、東京で色んな豆をつかって納豆を手作りしているご飯屋さんがあり、納豆が嫌い(今は大好きです)な僕にとって、見た目が茶色でドロっとした感じがなく、とっても美味しそうにみえた。それで、カラフルな天然の豆で納豆をつくろうと決まった。

小杉食品の技術力、そしてお互いに共通した納豆愛と東北への想いがあって、史上初のカラフル納豆はなんと製作期間3ヶ月で出来上がった。名前は”カラフル納豆” 大豆・うずら豆・青大豆・黒大豆・赤大豆・えんどう豆の7種類が入っている。

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完成した七色のカラフル納豆を携え、商品発表会を大阪アメリカ村のカフェで開催。その後、一週間で1000食を売り上げた。

食べたマメーがマネーになる。

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誕生から1年、被災地にとどける活動などを行い、7月10日に満を持して仕掛けたのが、大阪市福島区で行うバル「福島ネバル」です。

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福島ネバルでは福島区の飲食店31店舗が、7月10日のためだけにカラフル納豆を作ったオリジナル料理を出します。そしてそれが1食売れるたびに、東北への100円の寄付金となるんです。この試みが多くの人に受け入れられ大盛況!※2020年はお休みしました。

納豆は、東北生まれです。まさに東日本大震災があった宮城県をはじめ、最も被害が大きかったところが、最も消費される地域。僕たちが納豆に出会い、そのおかげで様々な人達に元気をもらいました。だからこそ、一度だけ作るのではなく、作り続けることが大切だと思っています。

これからのこと。

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YAHOOニュース、ヒルナンデス!、幸せ!ボンビーガール、芸能人のインスタなど様々なメディアにて取り上げて頂きました。ありがとうございます。ほんま感謝です。

福島ネバルは大阪の地から東北に想いを届けるという遠距離の想いのやりとり。10年前からそういう想いがつながるイベントだったんだと改めて思います。人の距離は遠くとも心の距離は近く、粘り強く糸を引きながら、切れることなく。距離は離れていても応援出来ることを模索し続けていました。イベントは延期してもその気持ちはなくならないと思います。福島ネバル再開のおりはどうぞ宜しくお願い致します。世界全体が感染の危機を目の前に同じ問題や課題を抱えながらも、それぞれの文化や状況が加わり混乱の中、日々を過ごしていると思います。
色んな情報はありますが、まずはそれぞれの安全をしっかり守りながら過ごしてください。そして、お亡くなりになられた皆様、ご家族の皆様にお悔やみ申し上げます。そして、今もなお献身的な対応をされている医療従事者の皆様感謝申し上げます。(福島ネバル)

すべてはたわいもない一言から始まった納豆プジェクト。それぞれ違った職業の仲間で夜な夜な集まり、笑いの絶えない会議を行なってきた。
今も様々な人たちを巻き込んでいる物語です。

これからもよろしくお願い致します。





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