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喜を綴る Vol.2 ~欠陥を認める朝〜

「次のnoteのネタにしよう。」

  過剰にも見えてしまうほどの反応を呈する身体とは裏腹に、理性というものは拍子抜けするほど冷静なものである。体腔の中心部で心臓と呼ばれていたものは人体実験を拒み拘束を逃れようとする死刑囚になり、付随して漸次的に荒くなる呼吸、誰もいないリビングを歩き回る下半身…交感神経の過剰な優位性を体は様々な形で表出する。
  一体全体どうしてこうなってしまったのだろうか。まるでこの世界を広い青空の上から退屈そうに眺めているかのような、ただならぬ静謐さを漂わせて教科書の紙面に鎮座する数式の一つ一つとそれを取り囲む不自然な訳文、担当教員の竹を割ったようなハキハキとした語り口調、その場で展開される定理の導出にどうにか喰らいつかんと必死の様相を見せる周囲の学生たち、そのどれもが新鮮で心躍る日々を送っていた自分は何処へ消えてしまったのだろうか。
 それが今では未完の課題が1つまた1つと重なっていく講義への出席が憚られるあまり朝から過呼吸を起こしている始末である。これでは昔と何も変わっていないではないか。成績の低迷による奨学金の打ち切りなんて事態はなんとしてでも避けねばならないという重圧に耐えかね、自分の精神の脆弱性と向き合う生活を余儀なくされている。

 零れ落ちる寸前の成績をどうにか拾い集めることに忙しく、TwitterもYoutubeも見る暇が無くなってアプリを消してしまった。常日頃からSNSに張り付いていると致死量の雑駁とした情報に食傷気味になってしまう。目新しいものに触れられるのはいいが、頭が膨らむと身体の動きが鈍る。それからというもの頗る調子がいい。

1月もそこそこ過ぎてしまいどうにかnoteを更新しなければいけないという思いでこれを綴っている。自分の弱さを晒すことには抵抗がある。自分の中に欠陥を認めること、それを真正面から見るのは誰だって恐ろしい。だからこそ、どうにかして茶化してやろうという気が働く。シリアスなものより、面白いものを作る人でありたい。その延長に自分の音楽があって欲しいと思う。

最後までお読みいただきありがとうございました。
また次号でお会いしましょう。
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