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偏質的俳句鑑賞-第百二十回 船焼き捨てし 船長は   泳ぐかな-高柳重信『高柳重信全集』 

ついに来た。多行書きの作品をどう横方向で書くかという問題が。
俳句は縦書きで書かれることが多いが、基本的に一行で終わるため横書きにしても問題は起こらない。縦書きにしないと字の並び方とかの印象が変わることはあるけれども。
既存の何かで少し確認して欲しい。
それはそうと鑑賞だ。
この作品のスペースがあるところは全て改行されている。また、「船長は」と「泳ぐかな」の間には完全に空白の一行がある。
まさに実験的作品として詩の中に空白をぶち込むという面白さがある。
しかも、その空白は無意味の空白ではなく、船長が船を「焼き捨て」てから「泳ぐ」という行為につながるまでの時間的な隔たりを表しているとよく言われる。
時間的な隔たりもあるだろう。
しかし、意識的な隔たりというものもあるだろう。特に船を焼き捨てるという戦争の破壊行為を行った後には正常ではいられないだろう。
それだけです。次回も良ければ読んでください。

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