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Flash Back Rag

いつだって思い出話は煙たがられるし、
思い出は基本的に煙草の煙まみれだった気がする。
東京にこにこちゃんの本公演
「シュガシュガ・YAYA」も
ヤニまみれの汚い壁が鮮明に思い出された。

今回は煙たい眠たい人によってはつまらないnoteになると思う。
つまりは思い出話をする。(普段そんなしないから許してほしい)

にこにこちゃんひいてはつぐとよと会ったのは
舞台にもなったあの部室(棟)だった。
1年の終わり頃、自サークルの運営がうまく行くようにするためにサークル事務局というところ送り込まれた。おれもつぐとよもその1人だった。
おれはジャズ研、つぐとよは演研。
そこで聞いた先輩たちの話はどれも別世界のようで
少しバカになり始めてた時だったから、最高にクールに思えた。
来年の新歓委員を決める時、どれだけ熱く語れるかという謎の基準で決められ、おれが委員長、つぐとよが副委員長になった。あと同期が2人いた。
2年の春、新歓の時期になり委員として張り切っていたが、1番仕事をしなかったのは委員長と副委員長だった。
夜勤明けで坂の下で新入生が通り過ぎる横で寝ていた。めちゃくちゃ怒られた。
そのあたりからつぐとよとは仲良くなっていった。はず。

そして演劇研究会の新歓公演に来いよと誘われた。
全く興味がなかった。まず演劇は学芸会の延長だと思っていた。でも初めて見たその演劇は普通に痺れた。売春捜査官だっけか。
あとは寝床となる部室を手に入れて、隠れた名作ゲームをクリアするまで部室から出られないルールの元に遊び更けて単位を落とした。涙も落とした。
そして、つぐとよがパロディウスをクリアした時、こいつゲームうますぎるだろと認識した。

3年のあたりで部室棟がどんどん静かになっていくのを肌で感じた。
事実学祭がなくなろうとしていた。
つぐとよとそれはあかんだろってことで、なぜか犬猿の仲みたいになってた学祭委員に2人で乗り込んだ。そこには同期の女の子が1人で学祭を立ち上げようとしてた。そんなのやべぇじゃん。
躍起になってどうにか学祭をした。
24時間フルオープンの学祭は、変な連中が夜大学に来るかもしれないから、坂下で見張らないといけなかった。期間中おれはジャズのライブがあったし、つぐとよはのらりくらりしていたのでまたしても仕事を全くしていなかった。
誰もやりたくないその仕事は必然的に振られた。
ほぼ燃料切れのストーブと毛布一枚渡されて、日が昇るまで見張った。途中眠さのピークが来て記憶にはないが横になった時、コンクリートが柔らかいと言ったらしい。本当に覚えてない。

まだ眠さに抗っていた。

時を経てまだ寒かった時期、部室棟を歩いていたら、2階からつぐとよが「あみだくじやるからこいよ」と声をかけてきた。20歳超えた人間が発するにはデカすぎる声だった。
全ての壁さらに天井までもが落書きに塗れたその部屋には、めちゃくちゃ人がいてマジであみだくじをしていた。
会話の中でやんわり理解したが、脚本演出が役者をあみだくじで選んで演劇をするらしい。
これが俗に言う「サバイバル」だ。
そしてここで今にもつながるが、菊地穂波がおれを引いた。
普通にこれ奇跡だと思ってるからアンダーライン引いてほしい。
そっちの話はいつか煙が落ち着いたらしたい。
学芸会以来、人前で演技なんてしたことのない人間が演劇に出たらそりゃやばいっしょ。
記憶に残っているのは、出るタイミング間違えて、でも戻るに戻れなくて奥の壁をただジッと見つめてた。この時に寿命が3年短くなるのがわかった。
穂波さんは落ち着くと思うから舞台上でタバコ吸っていいよと言ってくれた。
めっちゃ吸った。煙草セリフ煙草くらいの間隔で吸った。ライターの調子が悪くて逆に落ち着かなくなったけど。だから舞台ではタバコ吸っていいもんだと思ったけど、そんなとこどこにも存在しなかった。

もう疲れてきたので締めていく。
まぁそんな感じで思い返せばいくらでもある思い出は、当人たちだけが色を覚えていて、それを人に話すにはやはり言葉だけでは限界がある。
それにしがみつくのは勝手だが、強制するのはもちろんよくない。
ここから先、カスなマインドは捨ててくれ。
タイムマシーンで過去に戻れるなら?みたいな質問に対してノータイムで今が1番楽しいから戻る必要がない。って言える人生になっているのなら最高じゃんね。

じゃあまたね。

https://youtu.be/L61VHbN11EI

佐藤暉

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