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竹久夢二 関東大震災を描く 1

 〜 竹久夢二が描いた関東大震災 〜

朝日新聞デジタルで夢二の興味深い記事を見つけました。

関東大震災(1923年)直後、がれきの山と化した東京の街を歩き、スケッチをし続けた画家がいる。美人画で知られる群馬ゆかりの画家・竹久夢二だ。そのペン画や下絵14点などを展示する特別展「夢二の目に映る関東大震災」が、渋川市の竹久夢二伊香保記念館で開かれている。夢二が東京の惨状をおさめた数々の絵は「東京災難画信」と題される。「都新聞」(東京新聞の前身の日刊紙の一つ)に、夢二が執筆した原稿とともに、21回にわたって連載された。配給に殺到して列をなす人々。道ばたで輪になって話す若者たち。がれきの中でセミの声に立ち止まる子どもたち――。悲劇の中でも、綿々と続く毎日を生きる人々の姿が、夢二の視点で切り取られ、どこか温かく描かれている。

夢二の作品を見ていると、一人の人間が実に様々な情感を描き出していることに驚かされます。

代表的な作品の色っぽい?女性を描いた絵からは想像もできないような、

イチゴや草花などの可愛い絵柄 子どもの情景、

セノオ楽譜の表紙絵のデザインの素晴らしさはホントに神です。

夢二は「デザインの発明者」そうに違いない!と私は思うのです。

そんな天才、夢二は震災の瓦礫の中を歩きスケッチしたのでした。

なんか涙がこぼれそう・・

それは画家だから、ということかも知れない。

あるいはそれが彼自身の癒しであったり、

傷ついた人々への言葉にならない語る声だったりするのかな。

50歳前に渡米して騙され、病のために帰国。

それでも個展を開き

新しい境地の作品を残してくれました。

それから間も無くして

夢二は”ありがとう”と言葉を残し去っていきました。

もっと長く生きて晩年の作品も見たかった、残念だった・・・

そう思っていたけれど、

震災の大きな喪失から人々に光を与えてくれた夢二に

”ありがとう” 

本当はそれだけでよかった。

              キョウコ


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