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私の経歴☕️note

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自分のことを思い出しては書いています。 面白かった、困った、つらかった😂・・・ 楽しんで読んでくれたらHappy〜。
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記事一覧

私が通った絵画教室〜画家の先生のこと

私が絵を描き始めたのは、27歳の時でした。 東京からある地方都市に移り住み、音楽スタジオでアルバイトしていた時代です。 スタジオではバンドの練習だけでなく貸し教室もやっていていました。 そこに楽器のレッスン、ダンス、お料理、いろんな講座などがあり、 絵の教室もありました。 私はなんとなく、絵を描いてみようかな〜と気楽な気持ちで 絵の教室に入部?しました。 ”パステル画教室”という名前でしたが、自由な画家の先生の気質からなのか? 集まった生徒たちは、それぞれで自分の描きた

小さな手作りギャラリーの個展をご覧ください。2003 "KYOKO GALLERY"

あれから20年になるのね〜 と思いながらファイルを整理していると 投稿しようと思いつきました。 この当時の私は飲食店やお掃除のアルバイトしながら 次の個展を目指して絵を描き、また注文を受けては描き、 絵に没頭していました。 そのいっぽうで、お金のこと、子供のこと、親のことなどなど・・・ 生活上は混乱を極めており、絵を描くことが私の癒しでもありました。 そんな時代のためなのかな?いつの間にか忘れられた個展写真たち。 それは小さな小屋をお借りして、 壁を白く塗り直し、お茶ス

私の作品紹介〜小さな木の絵*NO2

小さな木の絵 No2みなさま、いつも私の記事を見てくれてありがとう❤︎ 小さな木の絵の続きをご覧くださいませ。 小さな木の絵NO1はこちら↓ 木の香りが優しい 手のひらに乗る小さな絵   桜やイチョウ、桧の国産材の香り お部屋と自分に優しい❤︎❤︎❤︎ 手に乗せて鑑賞する絵 ❤︎❤︎ハートそういうものがいいな〜 と思って作りました。 とっても小さく木をカットして ツルツルになるまで磨きをかけて 裏に小さく穴を開けてに細い棒を差し込む。 表面はツルツルにしないと 細い筆が滑

わたしの作品紹介〜小さな木の絵*No1

小さな木の絵*木の香りが優しい 手のひらに乗る小さな絵を作っていました。 かなり前です^_^ 桜やイチョウ、桧の国産材をカットして絵を描きました。 小さくカットした木にツルツルになるまで磨をかけて 裏は穴を開けたところに細い棒で支えられるようにしました。 月夜の散歩 天使 テラへ飛び立つ みつばち嬢 カフェ HOUSE ストロベリーファーム アヒルの国 フラワー ギャラリーのお客さん ガーデン ロハスなジュースバー 枝垂れ桜

”マーティー・フリードマンとchar”に癒される〜

 ”マーティー・フリードマンとchar” https://www.youtube.com/embed/CMwlNgjlX84 全部見ると1時間の動画、 なのに4回も見ました。 辻井伸行さんのラフマニノフは10回? いやもっと少ないかな? Charのデビューは私が高校生の頃。  ”気絶するほど悩ましい” が大ヒットして ラジオで知りました。 テレビで見た時は、ギターを弾く人を見た中で一番上手かったので ちょっと凄く驚いた。 すごいファンだったという程ではなかったが 他の

小さな種が芽吹き、花が咲く時。変化の時代。

ある日、りんごを食べたて ひと粒のタネを庭に植えました。 「もしかしたら育つかもね。」 随分経ってから 小さな木を見つけました。 「なんの木かな?」 どんどん大きくなってきて やっとわかりました。 りんごの木です。 「あ!そうか思い出した、私が植えたりんごの種。」 ・・・・・・ 「地球の歴史の中で この時代ほど世界が苦悩に見舞われる時代はない」 そんな言葉を聞きました。 ・・・そうであろう。 そして私の思うこと。 この時代ほど 人々が 真実に愛に希望に 目覚める時代

予測可能でない自分に戸惑う。

出来なかったことが突然出来てしまう。 「火事場の馬鹿力」とでも言うのかな。 私の場合、困ったことになります。 あれは小学生の時のこと〜2年生くらいかな? その日の体育はプールでした。 私の水泳能力は 3〜5メートルくらいバタバタしては足をつき 水を飲んだりしてゲホゲホ.. そんな感じでした。 授業が始まり、しばらくプールで遊んで そして先生が言いました 「プールの端までのタイムを測ります。」 生徒たちは次々と泳ぎ、測られました。 私みたいな子もいました。 足をついて、は

富士山の偉大な癒しの奇跡を体験した。

前回の#私だけかもしれねいレア体験に続き 第二弾もありました。 ちなみに前回はこちらです。 私の子ども時代はピアノ練習、練習・・の毎日でした。 それを取り巻く人間関係の柵の中で 中学生になると、すでに体は悲鳴をあげていました。 いくら練習しても平気な人たちはたくさんいますが、 ストレス環境の中においては、心も体も壊れてしまいます。 長時間座っているために背骨がS字に湾曲し 腰と足の骨がずれた角度で接触。 そのために片方の足は 常に痺れて感覚がありませんでした。 病院も

疑いのないところに奇跡は起こる。

小学3年生くらいの時でした。 ファンタの瓶がキッチンの床に置いてありました。 「飲みたいな〜。今日が誕生日だったら飲めるのにな〜 あ〜飲みたいな・・」 (うちではファンタは誕生日とクリスマスだけでした。) 私は寝転びながらファンタをじっと見つめていました。 すると、ポン!と蓋が飛んだのです。 それ以来 ” 強い思いは通じる。奇跡は起こる。” 疑いのない証拠となりました。 ゆえに私はまだ諦められません。         ー キョウコ ミュシャの作品が増えまし

#思い出の曲 1986野外ライブー荷物なしの旅

57分を過ぎたくらいから始まる。 People get ready〜 荷物なしで乗る旅 用意はいいだろうか。 夢見た場所がー どこかにあるだろう。 チケットはいらない ただ神への感謝だけ。 早朝、軽井沢に着くと 長い列に並んだ。 開始の数時間前だったと思う。 開始時間過ぎてもなかなかゲートが開かない。 6時間以上過ぎた頃にやっと進み出した。 中に入ると芝生にロープが張られていて 予約していた番号のところに立って見る。 そしてまた随分待った。 2時間くらいだったかな。

「#私のここが好き」について考えてみたら良かった。

新しい年の夢や目標を書いてみようと思いました。 すぐにいくつかの言葉が浮かんできて・・・ なんか毎年同じなんだよね〜。 「それはいつまでも達成しないからですか?」 はい、そうです。 そこで新しい材料を探してウロウロしながら noteの”応募する”を眺めました。 ・・・見つけました。 #私のここが好き これだ!ここから始めてみよう。 自分のどこが好き? この問いが、すごく難しいと思うことがすごく残念。 でも好きというよりも、自分って”面白いな〜” と思うことはあります。

いつもと違う朝、静かな変化が起こっています。

昨日まではあんなに興味があったのに 朝に目覚めると無くなっている。 そんなことがあります。 寝ている間に 何かが起こっているに違いない。 ずっと好きだったこと 興味があったこと 惹かれていたこと だけど、今はそう思わない。 食べ物もそういうものがいくつかある。 プリンやゼリーが大好きだった。 いろんなレシピを見て 作り方も研究して 自分で作って美味しく食べていた。 子供の頃から大好きだった。 ある日、食べたくないと思った。 そして作らなくなった。 スーパーやケ

アナログな友人は面白いデスnote

ちょっと笑えるかな〜という話 福島在住の友人Y氏のことです (一人暮らしで私より多分3〜5つ年上) 大きな地震があると、私はY氏のことが気になり 「大丈夫でしたか〜?ゆれました?」 と電話します。 すると話し好きで頭の回転の速いYさんの 長〜い会話が始まります。 お話はいろんな方面におよびます。 大抵はフンフン、フンフンと聞き役なのですが 私からの情報提供になると 説明不能になることがあり... 私「ちゃんとした情報はメールで送りますね。」 Yさん「お世話をかけますね〜

誰でも割りしません!思い出note

過去の出来事で 時々思い出して笑ってしまうことがいくつかありますね。 でも誰かに話すには、あまりにくだらない内容だったりするのです。 だけど何度思い出しても面白い、これはそんな話です。 あれは17〜8年前でした。 携帯電話がみんなガラケーでだった頃です。 私と姉は携帯を買いにショップに行きました。 その携帯ショップの(地方だから?)取次店は 不動産屋が携帯も取り扱っているという状況になっていました。 その不動産屋さんのおばさんが、 携帯ショップのミニスカートの制服を着