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「手紙の時間」-山笑う季節、志をあらたにご挨拶-

手紙の時間とは

お気に入りの便箋を選び、相手に伝えたい言葉を吟味しながらペンを走らせ、時に切手や封緘、シールなどの組み合わせを考える。

この特集は、そんな手紙にまつわる優しい時間を皆さまと共有することを目的としています。

POSTORY代表の近藤千草さんに考えていただいた、便箋や切手などのコーディネートを、季節や行事に合わせてご紹介して参ります。

志あらたにご挨拶

無地の洋紙便箋はどんなシーンにも合う便箋です

新しい出会いの季節。ご縁をいただいた方に向けた、
ご挨拶のお手紙をイメージしました。
純白無地の便箋に、紺罫の封筒という凛としたコーディネートです。
切手は、国宝 長谷川等伯『松に草花図』と能『羽衣』を組み合わせました。


この切手に描かれている能の演目「羽衣」は春の海を彷彿とさせます。
大海への船出や、未知へのあこがれをのせた手紙です。

桜と楓

絵はがき「桜と楓(竹二号)」<河鍋暁斎>


河鍋暁斎 かわなべ きょうさいの筆による千代紙を基にした絵はがき。
満開の桜と色とりどりの紅葉が競うように描かれています。
桜と楓という、日本の自然美を象徴する二つのモチーフを一緒に描くことで、お互いを一層引き立たせています。

桜の季節のお便りにどうぞご利用ください。
紅葉と流水を描いた竜田川紋の絹織物を背景に、桜、紅葉の葉書と合わせて撮影しました。

※ 本連載に掲載の切手は、
日本郵便株式会社において販売終了しているものを含みます。
何卒ご理解の程お願い申し上げます。

長谷川 等伯(はせがわ とうはく、天文8年(1539年) - 慶長15年2月24日(1610年3月19日))は、安土桃山時代から江戸時代初期にかけての絵師。幼名は又四郎、のち帯刀。初期は信春と号した。狩野永徳、海北友松、雲谷等顔らと並び桃山時代を代表する画人である。能登国・七尾の生まれ。20代の頃から七尾で日蓮宗関係の仏画や肖像画を描いていたが、元亀2年(1571年)頃に上洛して狩野派など諸派の画風を学び、牧谿、雪舟らの水墨画に影響を受けた。千利休や豊臣秀吉らに重用され、当時画壇のトップにいた狩野派を脅かすほどの絵師となり、等伯を始祖とする長谷川派も狩野派と対抗する存在となった。金碧障壁画と水墨画の両方で独自の画風を確立し、代表作『松林図屏風』(東京国立博物館蔵、国宝)は日本水墨画の最高傑作として名高い。晩年には自らを「雪舟五代」と称している。慶長15年(1610年)に江戸で没した。代表作は他に『祥雲寺(現智積院)障壁画』(国宝)、『竹林猿猴図屏風』(相国寺蔵)など。画論に日通が筆録した『等伯画説』がある。長谷川久蔵ら4人の息子も長谷川派の絵師となった。

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)

河鍋 暁斎(かわなべ きょうさい、天保2年4月7日〈1831年5月18日〉 - 明治22年〈1889年〉4月26日)は、幕末から明治にかけて活躍した浮世絵師、日本画家。号は「ぎょうさい」とは読まず「きょうさい」と読む。それ以前の「狂斎」の号の「狂」を「暁」に改めたものである。明治3年(1870年)に筆禍事件で捕えられたこともあるほどの反骨精神の持ち主で、多くの戯画や風刺画を残している。狩野派の流れを受けているが、他の流派・画法も貪欲に取り入れ、自らを「画鬼」と称した。

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)

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