【エジンバラ 大学留学:後期】スポーツとメディア④スポーツメディアとセクシャリズムとジェンダーについて
Week4は、スポーツとセクシャリズム、ジェンダーについてです。
日本でも、2020年に、JOC(日本オリンピック委員会)などが、アスリートを標的にした「性的画像」の撲滅を訴える声明を出し、広く知られるようなりましたね。
確かに、陸上、水泳、新体操、ビーチバレーなど女性アスリートの衣装で露出が多い競技はありますよね。
この授業のテーマは、メディアの切り取る情報が社会を反映しているということです。
では、スポーツの性やジェンダーのメディアを観察することでどのようなことがわかるのでしょうか。
その際に、考えなければいけないポイントは、以下の通りです。
①誰が作っているのか?
②なぜ作られているのか?
③誰に向けて作っているのか
④人々はそれを使って実際に何をするのか?
⑤意味はどのようにして生まれるのか?
誰の部分は、メディア、アスリート、企業、個人のいずれかを当てはめて考えてみるのがいいのではないでしょうか。
僕はこの授業で、(多くの場合)なぜ女性アスリートが性的な対象で見られてしまうのか。性的な対象としてみられたアスリートは、どうすればいいのかについて考えていきたいと思います。
結論
今回は、授業の結論から先に述べ、そこから、授業で説明されたスポーツとセクシャリティ、ジェンダーの物語についてまめます。
まとめの内容は以下のとおりです。
◆スポーツメディアは常にセクシュアリティとジェンダーについての物語を伝えている。
◆問題はどの物語が語られているか、そしてどのように..語られるか
◆スポーツメディアは単に「現実を反映させる」のではなく、現実を演出するために利害関係を持っている...。(アスリートを商品化している、演出していると理解)
◆スポーツメディアにおけるジェンダー&セクシュアリティの表現も、現実を完全に決定づけるものではなく、解釈の対象となる。
◆肉体美、民族性、消費と個人主義...色々な要素が含まれる。
この授業の構成
なぜジェンダーとセクシャリティか
女性とスポーツは混合されてはいけない
性化と客体化
同性愛(Heteronormativity & Homophobia)
男女の違い
なぜジェンダーとセクシャリティか
メディアの影響力
性の不平等を維持し、挑戦する
ジェンダーの固定観念を永続させ、混乱させる
ホモフォビアやLGBTの疎外を隠蔽し、明らかにする
→上記のようにセクシーさを際立たせた(なぜ、ズボンを抜いて、ペダルを跨いでいるの?)写真は、アスリートの性を固定化しているように思います。
→このアスリートが、LGBTの場合、この写真を通じて、彼女のLGBTのファンは増えるのでしょうか。
女性とスポーツは混ぜてはいけない
ここで提起される問題は、女性とスポーツは混同してはいけないということですが、現実にニュースを見ると、男女のスポーツの報道時間は同じでも、競技にはかなり偏りがあるよねということです。
確かに、男性スポーツであれば、選手がイケメンかというよりも、競技(サッカー、野球、バスケ)に着目していますが、女性スポーツは、アスリートの見た目にフォーカスしたような報道が多いような気がします。
これは、女性は顔が大事という価値観をメディアが広げているのではないかということを暗示しているということですよね。
性化と客体化
上記でも述べたとおり、個人の見た目が女性アスリートの場合、こと多に着目されていることが指摘されています。
非常に難しい問題が、女性アスリート自身も時に、その女性らしさを強調する場合があるということですよね。つまり客観的に見て美しい時と、性的な対象で見られる境が難しい(人による)ということです。ここは表現が難しいのですが、おそらく彼女たち自信は美しさ、セクシーさを強調している一方で、男性ファンから見ると、性的に嫌らしく見えてしまうこともあるということだと思います。
もちろんそれは女性アスリートだけでなく、男性アスリートがセックスシンボルになっている時もあります。
ではここで、少し以下の問いについて考えようと思います。
主観ですので、偏り等あるかもしれませんがご容赦ください。
誰がメディアで性的な対象となっているか。
女性アスリートが主な対象という認識です。なぜでしょうか。社会的な慣習なのか、本能的なものなのか。そこには色々な意見があると思うのでここで詳細な議論は避けます。以下では女性アスリートを中心に述べます。
どのように、またなぜアスリートが性的な対象となり、商品化や消費社会に結びついているか。
どのようにという問いについては、主に広告での起用が多いのではないでしょうか。(1部はSNSで自身のブランディングのため行うアスリートもいますがここでは言及していません)
広告のためということは、その後ろには何かしらのスポンサーや協会のような組織がいるということです。
スポンサー
であれば、旬なアスリートたちを自己の商品PRとして、競技団体であれば、その競技の広告塔として利用しているのでは無いでしょうか。
そのため、アスリートは時に商品を呼ばれ、消費社会で消費される対象となります。
では、なぜ彼らは商品として価値があるのでしょうか。
それは、消費者がいるからですよね。
彼女たちの魅力に目がいってしまい、商品イメージが印象付けられるということですよね。
つまり、ここでは消費者とスポンサーの間に、需要と供給の関係が成り立つということですよね。
では、アスリートの立場
はどうなのでしょうか。
アスリートは、スポンサーから金額の代償はあれ、報酬を受け取っています。報酬をもらう理由は、個人で異なるでしょう。ある人は、その報酬がなければ競技ができないのかもしれませんし、ある人は、リッチさのためともいえます。
では、ここでアスリート自身が広告を断ることはできるのでしょうか。理論的にはできます。しかし、実際は、競技を続ける重要さ、お金の誘惑に勝つことは難しいのだと思います。
ここで、3者の関係者が出てきましたが、上記に述べたとおり、彼らにはもちろん、断る(他の方法を取る)オプション(自由)は与えられています。
しかしながら、尊厳や倫理を一旦横に置いておいて、スポンサーとアスリートは、資本主義の利益を最大化するというルールの中での最適解に従い、上記のような行動をとっていると考えられます。
消費者に関しては、半ば本能的にイメージをスポンサー企業から与えられている側面もあるので、自らの意思でイメージの良い商品を買わないのは難しいと思いますが。
そうだとすれば、結局のところ資本主義という枠組みの中では、最適の行動をしているため変わらないのでは無いでしょうか。
変わるとすれば、各当事者の目的が利益の最大化ではなくなることですよね。このような状態になるためには、
①資本主義社会のまま、個人的に(十分お金もあるので)、資本主義に走らない、
②パラダイムシフトがおきて、利益の概念が変わる。(スポーツとビジネスが切り離される)
いずれの条件が必要になるのではないでしょうか。つまりルールが変わらないが、損失をとれる余裕があるか、ルールが変わるしかないのではないでしょうか。
どのような種類のセクシャリズム(性化)であれば受け入れられるか。
これについては、下記のJessica Ennisの写真が社会に受け入れられるセクシャリズムの良い例なのではないかと思います。
ここで思うことは、受け入れられるかどうかの基準は、歴史、時代、文化、社会といった、コンテキストに非常に影響を受けるということです。
ここのボーダーラインをきちんと把握することは難しいですよね。
とはいえ、現在はグローバル化しているので、個人的には、やはりヨーロッパの価値観が進んでいるよねという流れがしばらくは続く気がします。(私見です)。
ヨーロッパの価値観がなぜ進むかというのは、彼らは、常に批判的なんですよね。だから時代に合わせて、いいもの(ゴール)は変わるので、批判的な態度で価値観を見直してきたのではないでしょうか。
ここで言いたいのはヨーロッパすごいということではなく、価値観を常に批判的に検討するという態度は重要だということです。
なお、下記のパンテーンの方は、単なる商業目的でアスリートを性の対象としているとして批判を浴びています。(言われないと分からない)
ヨーロッパの場合、商業目的だけでアスリートにセクシーさ(単なる性の対象を強調)を求めると人権侵害と非難され、それ+不平等へのメッセージ性を持たせるとOKみたいなざっくりしたイメージを持ちました。
Semioticsの観点からメディアの伝える情報の意味を考える
皆さんはこの選手をご存知でしょうか。
UKの陸上選手Jessica Ennisです。
上の写真は、marie-claireという雑誌の1枚です。
1st Semesterで行った、メディア記号論を考えながらこの写真の意味をするところを考えていこうと思います。
まず、写真の特徴を述べます。
-白黒
-露出の多い衣装
-アスリートが、ハードルに手をかけている
-飛ぶというよりは跨ぐ感じ
-水がかけられている
正直に告白すると、僕は最初、この写真をパッと見た時に、露出の多い衣装、水がかけられていることから少しセクシーな意味と捉えてしまいました。(すみません)
ただ、よく見ると上記に述べたような色々な”仕掛け(メッセージ)”があることがわかります。
また、marie-claireがフランスのファッション紙であることを考えると、
おそらくこれは、性的なイメージで見られる女性アスリートが、そのハードルを乗り越えていくというメタファーになっていると考えられます。
同性愛(Heteronormativity & Homophobia)
同性愛などに対する偏見は、スポーツメディアを通じて構築されたものかもしれません。
一方で、マジックジョンソンのHIVのカミングアウトで、それまで危険で正しくない行為の結果と思われていたHIVに対する偏見が変わる事例もあります。
それほどにスポーツは、みんなからの関心を集めるし、メディアは、アスリートを切り取って過激に報道します。
スポーツが、ある種の価値観を作り出しているかもしれないということを我々はもう少し真剣に考えた方がいいかもしれません。
男女の違い
これは難しいですよね。男性も女性も、社会的な要求から、男性らしく、女性らしくということを強要されていることがあると。
すごく構造主義的に我々は、社会の枠組みに従属しているということですよね。
長くなりましたが、この辺りで終わりにします。
では!
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