カリスマ

「大須もかわったなぁ」

電子なメイド喫茶、壺焼き芋屋、階段を上がって入る洒落た喫茶店、スポーツブランド専門店。よく来ていたあの頃の大須とは様変わりしていた。良くしてくれたおばちゃんがやっていた古着屋も潰れている。

「時代だから仕方ねえか」

飲食のアルバイトで、荒れた手を掻きながらそう思った。見慣れない店舗は出来てからだいぶ経っているのか、人通りはあまりなかった。いや、コロナの影響か、もしくは夜で寒いからかもしれない。とりあえず、時代のせいにしておけば楽だなと思った。

たまに犬を散歩に連れている人とすれ違う。赤く光る首輪をつけたダックスフントがしっぽをピンと立てて歩いていく。歩くたびに揺れる身体が、全力で楽しさを表していた。

歩けば歩くほど寒さはなくなり、メガネが曇っていった。

ふらふらと視線を動かしていると、センスの良い古着屋が目に止まった。2体のマネキンに羽織らせたコートも、ラックに掛かったシャツたちもくすみ具合が良い味を出していた。首元からぶら下がったタグには、5桁の数字が刻印されている。欲しいものはなんでこんなに根が張るのだろう。

歩いていて早々に後悔した。からあげ、たこ焼き、小籠包。アルバイト後にはこたえる匂いたちだった。腹の虫が鳴る。500円、600円、700円。一人で食べるには惜しい額だと思った。「ックソ」マスクで隠れた口から勝手に出ていた。

 毎日増える感染者数にもう麻痺していた。細い路地を歩いているときの、車がスレスレに通っていく瞬間が続いているようだった。バイト先で話す話題は大抵このことからだった。

ミュージシャンになりたい。夢があった。今となってはほぼ塵だった。

路上ライブやバーの小さなライブはことごとく無くなった。誰かに知ってもらえるような機会は、SNSくらいに絞られていた。

誰かの指示が欲しかった。指針が欲しかった。卒業旅行、同窓会、帰省、夢。諦めたこととの見返りが釣り合わない。見返りがあるように思えない。


 気分転換がしたかっただけだった。刺々しい気持ちを晴らしたかった。

ある程度、夜で人並みは落ち着いていることだろう。食べ歩きもしないし。

いつのまにか心の中で言い訳ばかりをしていた。


目に入るものたちをぼうっと眺める。大須の通りは子供から老人まで根強く愛されているイメージだった。しかしいつのまにか、すっかり若者向けのお店ばかりになってしまった。せいぜいいる若者は、スマホばかり見て下を向いている。撮った写真を加工でもしているのだろうか。

すれ違い様に男子高校生くらいの2人のスマホをチラッと覗く。ひとりはTwitterのTL、もうひとりはインスタのストーリーを見ていた。君たちは友だちではないのだろうか。大須の価値はSNSに負けてしまうのか。

そんなことを考えていたら、いつのまにか通りの終わりまで来ていた。オレンジの光に包まれた大須観音が見える。それまで歩いていた通りが白色の照明だったことを知った。何もしなかったな、と当初の予定通りであるはずが、なんだか名残惜しさを感じた。変わっていったものばかりに注目しすぎた気がした。

おそらく大須観音はあの頃とは変わっていないだろう。昼間はハトが沢山いるせいで、大須観音自体をあまり気にしていなかった。少し大人になった今、参拝だけでもしてみるかと思った。

砂利石を踏む。踏まれる石たちはちゃんと、「じゃりじゃり」と正しい音を立てた。手水舎はコロナで使えなくなっていた。

途中から参道を歩く。ひらぺったい石はなんだか味気なかった。中央をよけながら参道を通り、階段を登る。一段一段、靴と石の打ち付けられる音がした。

本堂に着いた。少しの階段で息が上がって、ずれたメガネを手の甲で押し上げる。相変わらずメガネはマスクの蒸気で曇っていた。

「二礼二拍手一礼」

語呂として覚えたような動作をする。財布から5円を探すとき、もったいないという言葉が脳裏をよぎった。荒れた手に小銭があたるのが痛かった。

あの頃なら、挨拶ついでにお願い事も図々しくしていただろう。今は、よく考えたら何もお願いするものがなかった。お願いでどうにかなるようなことではないと思った。

文化を重んじるほど、大人にはなりきれていなかった。


久々に歩き回ったせいか、疲れが足に溜まっていた。もう諦めて、上がってきた石段に座る。冷たい感触が尻に伝わった。

上から見ると、たまに参道を横切っていく人たちが見えた。自分に気づくものはいなかった。

才能がある、と自信を持っていたのは周りのおかげだった。褒めてくれて、喜んでくれて、そのひとつひとつで自分ができていた。イマは自分から発信しなければ誰も見てくれない。気付いてくれない。


息を吸った。ツンとした空気が体内に入る。

「もういいか」

刺々しい気持ちは、自分のやりたいことをただやりたいという欲から生まれるだけだった。それを認めるのにずいぶん時間がかかった。

右手でメガネのフレームを掴んで外す。置かれたメガネは冷たい石とぶつかり、カシャっと音を立てる。勝手にすぐ伸びた髪をわしゃわしゃと両手であげる。息苦しかったマスクをはずした。


頭に浮かんだメロディをひたすら声に出す。センスが良いとは到底言えない歌詞と旋律だった。こんなんじゃ誰も足を止めてはくれないし誰も拍手をくれないだろう。まずはそれでいいんだ。これから、だ。


階段をかけ降りる。定期が通っている駅はもう一つ先だった。お金はやっぱり大事だった。あの頃よく食べていたインドカレーを食べよう。ナンのおかわりが無料でお腹が膨らむ。コスパがいい。ちゃんと生きるのにはそう言うことが必要だった。


 もう流石に走っていく体力はなかったが、鼓動がドクドクと鳴るのが心地よかった。コンビニや信号、白川公園すぎていく景色が鮮やかに見えた。

「インドカレー カリスマ」

 見えた看板に懐かしい気持ちだけではないものが積もる。アルコールを荒れた手にかける。にやける気持ちを抑えながら店内に入った。


「レディースセット、いいな」

パパド/サラダ/12種のチョイスカレーから2種/ナンorライス/生春巻き/マライティッカ/ソフトドリンク/デザート。

豪華だった。さらに豪華にハニーチーズナンにしよう。


よくわからないお香や香辛料の香りで部屋が充満していた。ゆるいインド音楽。すべてが落ち着いた。あの頃に戻れた。


天才なんて結構ゴロゴロいる。届く人に届けばいいんだ、もう、おれは。何でも無いような顔をして、パパドを食べる。ガネーシャたちの視線を感じた。


窓から雪が降っているのが見えた。電灯に照らされたものたちだけが雪だとわかる。あとは雨だと言われてもわからないだろう。それでも立派に雪だった。もう大丈夫。

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