プライドを捨てるプライド

プライドを捨てるなんていかがなものか。
プライドを持つことは大事か。

プライドとは、誇り、自尊心だと。
自尊心とは、「自分自身の価値や能力をどれだけ高く評価しているか、
また、自分を受け入れることができるかという感覚」だと。
誇りとは、「自分に関する物事について名誉に感じる気持ち、
もしくは、優れていると感じて自慢気にしている様子」だと。

ということは、誇りとは自尊心の上に成り立つ言葉といったところだろうか。プライドが両方の言葉の意味を成すのなら、自尊心がプライドだと思っておいたほうが意味を網羅できそうだ。だが、一般的にプライドについて話をする場合、誇りの意味に寄ったプライドについて話をする傾向にあるように思える。

という前提でもう一度考える。
プライドを持つことは大事か。

・・・そりゃ大事だろうと一旦言っておく。
「持たなくてもいいプライドはある」と考えるが、
「プライドを持たなくてもいい」とは考えない。
「プライドを持たないというプライドはある」と考える。
よって、「プライドがない人はプライドがない」とは簡単に思わない。
なんでもかんでもプライドを持てばいいとは思わないし、そもそもなんでもかんでもプライドを持っている人って一つ一つそれ本当にプライドか?って思うわけだ。

思想家ヴィハーンは言った。
「Half-hearted pride is like dust」
(中途半端な誇りなど埃のようなものだ。)

そんな誇りは掃いて捨ててしまえ。
誇りまみれの部屋じゃ本当に大切なものが埋もれてしまう。

大事な、大きなプライドを持ち続けるために、
もしくは手に入れるために、
小さなプライドを捨てなくてはいけない時もある。
周りの人からは「あいつはプライドを捨てたな。」と思われる。
たまに自分に自信がなくなって、
「あれ、わたしってプライド捨てちゃったんだっけ。」と思ってしまったりもする。するなよ。周りの人は、あなたの上澄み部分しかみていないのだから。小さなプライドを捨てたことで、どう周りから見られても無視だ。

あなたのプライドは何ですか。

以上。

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