歴史が変わる瞬間

「クレオパトラの鼻があと1cm低かったら歴史が変わっていた。」
ってどこかの哲学者が言った。

わたしの目が二重だったとしても歴史は変わらない。
わたしの鼻があと1cm高くても歴史は変わらない。
わたしのヘソが引っ込んでいたとしても歴史は変わらない。
わたしの髪がもっとフサフサだとしても歴史は変わらない。
わたしの身長があと2cm高かったら170cmになるだけだ。

わたしの外見の変化ごときで歴史は変わらない。

いやでも待て。
よく考えよう。
ここでいう「歴史」は世界史か?
自分史ならどうだ?

外見の変化により自分史は変わったか?

これを考えるべきだ。

歴史=自分史としてもう一度考える。

わたしの目が二重だったら歴史は変わっていただろう。
わたしの鼻があと1cm高かったら歴史は変わっていただろう。
わたしのヘソが引っ込んでいたとしたら歴史は変わっていただろう。
わたしの髪がもっとフサフサだったら歴史は変わっていただろう。
わたしの身長があと2cm高かったら170cmになって歴史は変わっていただろう。

外見の変化で歴史は変わるだろう。

だが、それは外見の変化だけ特別なわけではない。

考え方の変化でも歴史は変わった。
出会う人の変化でも歴史は変わった。
あのとき食べた醤油ラーメンが塩ラーメンだったら、
あのとき自販機で買ったカルピスがネクターだったら、
あのとき発した言葉がごめんではなくありがとうだったら、

歴史は変わっていた。

全ての選択に歴史が関わっていた。

今、
この外見でよかった。
全ての選択が間違っていなかった。
歴史が変わらなくてよかった。

そう思える日々を過ごしたいもんだ。

以上。


クレオパトラの鼻があと1cm高かったらだっけ?

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