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桜町界隈(2014.6.1)

昭和38年12月、私は大阪からここ熊本県に帰って来た。思い返せばなんと半世紀も前のことになる。その頃中学3年生で15才だった。

生まれ育った山鹿市を5才のときに離れ、それから10年間私は幼稚園・小学校・中学校時代を大阪で過ごした。今となっては生活様式など全国どこも似たようなものだし、交通も格段に便利になったけれど、あの頃の大阪からは『熊本は日本の一番西に位置する所』という感じで、とても遠い場所だった。どうしてそんな田舎に引っ越すのかと聞かれたりもした。

移り住んだ家は熊本駅から歩いて10分くらいの所だった。熊本城の北側にある中学校へ通うことになり、行きはたいてい市電を利用し、帰りは歩くこともあった。

その市電で通った学校までの途中に、今私が住んでいる町がある。このあたりは熊本市の繁華街でも南側にあたり、桜町、辛島町、花畑町や新市街などの町がある。

かつて辛島町の十字路はロータリーになっていて、四方から流れてくる車が円を描いて動いていた。辛島公園はバラの花に囲まれ中央に噴水があった。靴磨きの人達がそこかしこにいたが、 数年前まで一人居たのを最後に、最近ではとうとう見かけなくなってしまった。

辛島公園のすぐそばには勧業館という建物があった。「勧業館のカレーが懐かしい」と今も年配の方からはよく耳にする。

新市街の入口の左側にあった銀丁百貨店も随分賑わっていたという。当時ビルと呼ばれるような大きな建物は、ホテルキャッスル、鶴屋百貨店、大洋デパート、そして銀丁百貨店くらいだったように思う。いずれにせよ今のようにマンションやホテルや商業ビル群が建っていた訳ではなかった。

やがて市役所が14階建ての現在の建物に建て替わった。ちなみに熊本城の景観保全上このあたりのビルは今でも高さに規制があるそうだ。そして県庁は水前寺へ移転し立派な建物に代わり、跡地の桜町界隈には交通センターなるものが出来た。

この50年間熊本では、日本が経済成長していくに従って車社会となっていき、東バイパスが作られ、空港も健軍からさらに東の益城町に移った。付随する道路も徐々に整備されていった。町はどんどん大きくなって、郊外にはあちらこちらにモールと呼ばれるショッピングセンターが作られ、至る所にコンビニが出来、自動販売機も次々と設置されていった。

逆に町からはいろんなお店が消えた。交通センターのすぐ近くに移り住んで30年程になるが、この辺りに以前あった個人経営と思われるお店を列挙してみる。酒屋・バイク屋・時計屋・塗料屋・貸衣装屋・食堂・ロープ屋・八百屋・魚屋・洋品店・花屋・パン屋・喫茶店・文房具店などである。軒を連ねて一軒一軒がそれなりに生計を成していたようだが、今やそのどれもが無くなってホテルやマンションが建ち、はたまた有料駐車場となり、町の様子はすっかり変わってしまった。

そして今、さらに桜町が大きく変わろうとしている。交通センターが老朽化して建て直しの時期に来ていることもあって、市は随分前からまちづくり計画を検討していたと聞く。

数年間閉鎖されていた辛島町電停の傍にある産業文化会館のビルが、この春より取り壊し工事をしている。2年前、熊本市は政令都市に移行し、同じ年に新幹線も開通した。その勢いもあいまってか、桜町・花畑周辺地区で熊本城と一体化したまちづくりをするということだ。おおよその内容を聞きかじってはいたが、 市政だより五月号に区ごとの市民説明会があると載っていたので行くことにした。

5月21日午後7時から、場所は市庁舎14階大ホールとなっていた。夫と2人、前の方の席に座る。私たちを含む中央区からの出席者は100名もいなかったのではないだろうか、想像していたほどは多くなかった。担当者によると前日の南区はたったの4名だったとのこと。私たちは交通センタ―のすぐ傍に住む者として是非聞いておかなければと思って参加した。

ホールの入口で3種類の資料を受け取った。一つ目はA3サイズを二つ折した『熊本城と庭つづき「まちの大広間」』と書かれたパンフレット風の資料である。これには空から見た桜町・花畑周辺の写真と、交通センターの跡地を再開発した建物や、辛島公園や花畑公園を含めた周り一体のイメージを写真化したものなどが掲載されていた。

二つ目はA4の用紙両面印刷3枚綴りで『熊本市MICE施設整備基本計画とは?』と題して、図や地図や表を交えて説明してあった。

三つ目の資料は、A3用紙片面印刷6枚綴りで、題は『桜町・花畑周辺地区まちづくりマネジメント基本計画(素案)』となっていた。

前の方で司会者と市の関係者10数名が机を前に座られている。幸山市長の姿は見えなかった。大きなスライドの画面を見ながら市からの説明が始まったが、頂いた資料通りのことを言われるというようなものであった。

MICE(マイス)という聞き慣れない言葉の意味は、国際会議や全国規模の大会・学会などが出来るホール、それに展示会・見本市・文化的催しなどのイベント、それらを包括した新たな集客施策の枠組みということらしい。そのMICE施設として3000人収容のホールを平成30年(2018年)オープンへ向けて、莫大な事業費をかけて作ろうとしているのである。 

今回の再開発には289億円かかる見込みだという。それにプラスされる費用がいか程になるやら、私には考えの及ばない単位である。

説明の後質疑応答の時間があり、出席者のうちの数人が具体的な理由をあげてキチンとした形で計画に反対されていたのが印象的だった。話が終わるとあちこちから拍手が起こったが、市の方針はもう決まっているのか、答弁は上手くサラッとかわされたように感じた。

こんなに大規模に、莫大なお金を投じて再開発する必要が果たしてあるのだろうかと私も疑問を持った。市の中心部が賑わうことは確かにいい事だし、そこに住んでいるものとして、まちづくりで活気ある綺麗なところに生まれ変わるのは嬉しいことではある。しかし市が将来を想定し概算していることがその通りになっていくものだろうかと私は危惧する。箱ものを作ったら維持費も随分かかるだろう。ただ単に再開発を喜んではいられない実情があるのだ。

数日前のニュースで、熊本交通センターの主要施設の一つであった県民百貨店が、『桜町周辺まちづくり』から撤退することを知った。従業員の今後はどうなるのか。そしてこの桜町界隈はどうなっていくのだろうか。心配が杞憂に終わり、ここ桜町界隈が明るく賑わい魅力ある場所になることを願っている。

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