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中国に派兵された祖父/アメリカ人のひ孫

私の祖父は、大正のおわりに生まれた。私が高校生の頃に亡くなったが、今もし生きていたら95歳になる。第二次世界大戦時、まだ独身だった祖父が派兵されたのは中国だったという。

しかし、私は祖父がどのように彼の地で過ごしたのかほとんど知らない。

私が知っているのは

餃子を我が家で食べるようなったきっかけは、祖父が中国に行ったときに知ったものだとか、祖父が書いている水墨画の山は中国の山だとか———そんな牧歌的なことだけだ。

戦争を語らなかったのは祖父の孫への思いやりだったのかもしれないし、もしかしたら後ろ暗い過去に蓋をしたかったからかもしれない。真相はわからない。

生前の祖父は、大正生まれにしてはとても進歩的な男性だったと孫娘の私は思っている。ご飯にしろおやつにしろ『あるものをみんなでわける』が口癖で、男だからとか歳上だから多くしようなんてことはなかった。弟にもわたしにも、分け隔てなく接してくれる人だった。


しかしそんな祖父も、しばしば人種差別的な言動をしていた。

拉致被害者の帰国が2002年、そして今ではある種日常的になってしまった感じもするが—北朝鮮のミサイル発射ニュースがメディアで大きく取り上げられていたのが2006年のことだった。こうした2000年代前半におきた東アジアの騒つきに関して、祖父は攻撃的な反応を示していた。

私はテレビにむかってぼやく祖父と一緒におやつを食べながら、そのときそれをとがめるでもなく『ふぅん』と話を聞くだけだった。

受けた教育が違うから。

戦争を実際に経験しているから。

祖父と私の感じ方が違うのは当然だ、と思っていた。そしてその頃の私にとって外国や外国人はメディアの中の存在でしかなかった。


そんな私が息子をアメリカで出産したのは2015年のことだった。私も夫も日本人なのだが、アメリカは出生地主義を採用しているため彼はアメリカと日本の二重国籍保持者となった。

存命中の私の祖母は、孫の誕生を心から喜んでいたが、感慨深げに『ひ孫がアメリカ人になるなんてねぇ』と言っていた。

そうだ、祖父も祖母も鬼畜英米という言葉の中で育ったのだ。彼や彼女が幼い頃、アメリカは紛れもなく敵国だったのだ。おじいちゃんが生きていたら、ひ孫がアメリカ人だということをどう思っただろうどう言っただろう、と度々考えてしまう。


「息子はアメリカと二重国籍なんです」

何かの機会でそれを説明すると、いいな〜かっこいい〜と大体羨ましがられる。

でもそれは、今アメリカと日本が友好関係にあり、また米国に好意的な印象を持っている人が多いからに他ならない。

もし歴史が今と違ったら?あるいは生まれた時代が違ったら?アメリカにもルーツをもつ息子はこの国で嫌われたり疎まれたりする存在だったかもしれない。もっと現実的な話をすれば、今アメリカに住んでいたら、息子(だけでなく私たち家族全員)心安らかに過ごすことはできないだろうと思う。


今この国にある外国人差別は、そしてアメリカでおこっているアジアンにむけての差別は、私にとってけして他人事ではない。そしてこの国際社会で、あなたにとっても他人事でない。

もし祖父が今も生きていたら、私はゆっくりとこのことを話してみたい。

おじいちゃん、あなたのひ孫はかつての敵国アメリカの国籍ももっているんだよ、と。

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