見出し画像

適当でいいんじゃない

適当でいいのさ

適当とは、ちょうどよいこと

皆真面目すぎるのさ

私は昔から、「ちょっと慣れてきた頃」が苦手である

小さい頃から、嘘泣きして保育園を早退することも多々あった

学生の頃だと、入学して最初は友達探しに必死のくせにしばらくして話さなくなったり

でも仲良くなればなればで、ずっとお昼ご飯一緒に食べないといけないし

その子が嫌いとかそんなんではなく、毎日同じってことに飽きてしまう

バイトでも、長期のものはやりたくないと決めてるので短期のものばかり

今まで、飲食店、宴会、法事、婚礼、船、清掃、コンサート関係のバイトをやってきた

いかに楽に効率良く働くか

10代からそんなことをずっと考えていたからか、自分で何事も探して自分で決めることがほとんどだった

短期だと、初めましての関係で終わるから楽だ
無理にプライベートに介入しようとせず、人と人の適正距離を守れている感じがいい

例えを言うと、コレ↓

「今日天気がいいですね」
「そうですね」

くらいでちょうどいいの

変に仲良くなると困るから

そんなふうに人との壁を作ってきた私だが、本当に付き合いたいと思う人とは、数少ないが長く続いている

そんなに連絡もしないし、何をしてるのかも知らない

でも急に電話かけても出てくれたり、会いたいと思う時に会えるから、そのご縁を大切にしている


何故「ちょっと慣れてきた頃」が苦手なのか

現時点の、分析結果↓

①集団同調圧力に負けてしまうから

・世間一般に反した意見を言ったら変人扱いされる
(でも、一人一人は良い人で好き)

②人は慣れると悪口を言い出すから

・本性が徐々に現れて、自分達が正しいというような、自己中心的な考え方になってくる

今のところ以上の結果がある
ちなみに母も同じような人なので、良く分かっている

その人が嫌いとか、好きの話ではなく

人と人との距離感というものはその間であるべきだと思う

だから、信じる心と疑いの心を同じくらい持ち続けるといいのだと

他人に依存するのではなく、
自分に正直に、適当に生きるために


ちなみに今は、何のしがらみも泣く  縛られず自分で決められるから今の自分が好きだ

好きで、本心でやれることは多少の苦労なんてどうってことない

全て自分の血となり肉となる
この感じが最高に満足だ!

#創作大賞2024
#エッセイ部門

この記事が参加している募集

#創作大賞2024

書いてみる

締切:

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?