にげる
東からの風は、花の香りを運んできた。未だ冷たい風。
太陽は負けじと地を焼いている。
聞き慣れない方言が、耳をかすめて通り過ぎる。子供が走る。笑い声が聞こえる。半袖で歩いている人たち。赤がよく似合う女性。
おそらく誰も、ベンチに座る私を気にしていない。
実家へ帰るための空港券の決済画面を眺めながら、喉がつっかえる感覚をひたすらにおさえた。
このまま帰って、私が借りている部屋に誰もいないとを同期が気づいたら、やっぱり上司に言うだろうか。地元から戻ったとき、同期は私を心配するんだろうか。
そうなるのは面倒だ。
けれど、仕事のせいで、自分の行動を制限され、精神的に壊れていくのは、もっと、面倒だ。
家に帰る、ただそれだけ。それだけだし、勤怠にちゃんと書けば、問題ない。
だから、もう、いいや。
なんでも、どうにでもなれ。
空港券の決済を押した。
今日の17時ごろ、ここを旅立つことにした。そして、私は家へ帰って、地元空気を吸って、明日の昼、またここに戻ってくる。
私は今日、沢山の人に迷惑をかけて、自分の望む通りにことが運んでしまった。
自分は弱すぎる。けれど、もう我慢が出来なかったから。
朝、信頼している上司にあった途端、泣いてしまった。彼女の優しい言葉に安心すると、涙が滝のように流れ出した。
なんで自分がこんなに苦しいのか、わからない。
自分が壊れていく。何度か経験した感覚が、胸の奥からひしひしと、音立てて近づいてくる。
それに怖がった。泣いたのは、心を守るための防衛反応。
けれど、弱すぎる、やはり。
私は泣いて、訳もわからず苦しいことを話した。
上司は私を責めることなく、私が楽になるよう、最善策を提案してくれた。たぶん、来月には地元で働くことになるんだろう。
そうなれば、癌の手術を終えた母と共に暮らせる。
昨夜、母に戻りたいとメールしたとき、「戻っといで」と、返信が来た。
一番仲のいい同期は、私が地元へ戻りたいと言うことを少し心配したが、会いに行きやすくなると、嬉しがってくれた。彼女はそう言う人で、人の心を安易に汲み取って、私の求めた言葉をくれる。だから、申し訳なくもなる。
ああ、疲れた。何に? 全て、かも。
自問自答しても、はっきりと出てこない答え。ただ、涙だけが自分の限界だと伝えてくる。
この間、駅でお菓子を配る、留学生に千円をあげた。荷物が重くて困っていた人の荷物を上へあげた。人は私をいい人だと言う。
私はちゃんと、笑えてる?
早く帰って、1人になったら、目が見えなくなるほど泣きはらしたい。
そうして、明日には笑えるように。
私は今日、地元へ逃げよう。明日、また歩き出すために。
(私が仕事を辞める前に書いたエッセイ)
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