世界で最も物知りなWikipediaさんによると、帰巣本能はこう説明されるらしい。
前回の投稿で僕が生まれも育ちも「水戸ホーリーホック」という大変趣があり、深い沼であったことをお伝えさせていただいた。
ただ、そのような自分でも沼から離れた時があった。
巣立ちである。
小学校4年からサッカー少年団に入り、
中学校、高校ではサッカー部に入った。
物理的に土日に時間を作ることができず、水戸ホーリーホックの試合に行くことはめっきり減った。
今でも2000年代後半から2010年代前半の情報はそこまで詳しくない。
それでも全く問題なかった。
自分には、
「勝利に向けて仲間とサッカーをする。」
「大学進学に向けて学校で勉強をする。」
「高校生っぽい甘酸っぱい恋愛をする。」
そのミッションで頭はいっぱいだった。
そして、高校3年冬まで選手権の茨城県予選を戦い、1回戦であの西谷兄弟がいる鹿島学園に負けて僕のサッカー人生(第一幕)は終わった。
その後、大学受験をし、合格を貰えた学校に進学した。
所在地は、東京都の端 八王子市。
ケーズデンキスタジアムまで片道4時間半。
まず、金欠大学生が時間とお金をかけて行ける距離ではなかったし、熱意もなかった。
年に一度、関東アウェイで町田ゼルビア戦やヴェルディ戦があるときは参戦した。
また、茨城に帰省するタイミングと試合が重なれば父とメインスタンドで試合を眺めたくらいだった。
それから社会人になった。
学生時代、周囲が遊んでいる中で勉強を頑張った。課外活動を頑張った。
いわゆる意識高い学生だった。
持ち前の自己効力感の高さと、両親から与えてもらった自己肯定感の高さ、発生源不明の自信から「上手くやれるだろう!」と思ってた。
結果、
本当に上手く行かなかった。笑
配属当日から自己紹介でスベり、
顧客からは担当変更に遭い、
同僚と不仲になり、
先輩から暴言を吐かれた。
(今はそんな会社ではない)
あまりにも辛い時期で、
今では上司や同僚と笑って話すのだが、
3日間くらい会社をズル休みしたこともあった。
当時、シンゴジラが上映されていて、会社のオフィス付近を吹っ飛ばしてくれたことが本当に嬉しかった。笑
営業成績は新人社員の中で最下位となり、「できないやつ」のレッテルをぺたっと貼られたのであった。
そんなこんなで人生初の挫折を味わっていた最中、
ふと思い立って水戸ホーリーホックの試合を観に行った。
2016年7月24日 vs町田ゼルビア戦である。
この試合は、それまでエースとして活躍していた三島康平の水戸での最終戦だった。
当時、同カテゴリーだった松本山雅にシーズン最中にエースを引っこ抜かれるという水戸サポにとって悲しい事件だった。
試合は前半0-2で後半早々にも失点し、0-3のビハインド。
まるで当時の社会人としての自分の状況を示すような試合運びだった。
「また、負けるのか。明日からの仕事も嫌だな。」
そのような感情だった矢先、水戸はやってくれた。
佐藤和弘の2ゴールと福井諒司のゴールで怒涛の追い上げを見せて、3-3で引き分けた。
泣いた。めっちゃ泣いた。
三島が同カテゴリに抜かれた悔しさ。
絶望的な試合から同点に追いついた喜び。
自分の社会人としての不甲斐なさから来る悲しみ。
なかなかチームが勝てない辛さ。
もう、何で泣いてるのか分からなかった。
一方で物凄い元気をもらった。
同年代の選手が、絶望的な試合でも走り続け、一生懸命に戦っている姿を見て。
そうだった。
これが水戸だよな。
自分が幼少期に大好きだった水戸だよな。
懐かしく感じたのと同時に、ここが自分の家だな、と思った。
社会という荒波に揉まれ過ぎて、方向感覚よく分からなかったけど、水戸ホーリーホックという家に帰って来れた。
もう一回、本気で応援しよう。
出来る限り試合を観に行こう。
そう思えた瞬間だった。
そして、もう一度。
当時23歳のHAYATO青年に、現在、齢30のアダルティHAYATOは言いたい。
「家は想像以上に熱い場所だったよ。」
まさか、20代後半に水戸ホーリーホックとの関わりがさらにさらに過熱していくとは・・・・
そのあたりはまた今度、投稿させていただきます。
今日も一日、今週も一週間お疲れ様でございました。
P.S
契約更新をしてくれた杉浦文哉選手、
移籍してきてくれた飯泉涼矢選手ありがとうございます!!!
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