リーダー?うるせぇクソして寝ろ。

人はみな、安定を求める。
中世からの脱却。近代との葛藤。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

Noteのアプリ、使いやすくていいですね。
前から面白そうな記事とか好きなコラムニストの方とかブックマークしておいて、ブラウザで読ませてもらってたんですけど、自分も思考整理の一貫で書き始めてからはアプリ落としました。「まぁ、アプリ入れるまでではないかなぁ~」なんて考えてたけど、早くから使ってればよかった。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

さて、よくビジネス書とか自己啓発本とかに書かれてますし、自分も高校が自称進学校だったから、「リーダーとは~」「諸君は日本を背負う~」みたい寝言をしたり顔で語る死に損ない教師とかに囲まれてました。耳タコ。あいつら生きてんのかな。

まぁ、そりゃ素敵なリーダーはいることに越したことはないんだろうけど、昨今はコロナ禍の影響もあって、政治的リーダーとしての立ち振舞いが首相や知事に求められて、コメンテーターもよくこの言葉を使ってると思います。
んで、ふと気になってたんで、折角Noteアプリ落としたから検索機能使って「リーダー」って調べたんですよ。そしたらね、まぁ~出てくる出てくる、自己啓発と政治批判。みなさんもちょっと調べてみて。何万件も、うじゃうじゃ出てくるから。

「安部はリーダーとして~~~しろ!!!」

「リーダーとしてビジネスを成功させる◯つの方法~」

「◯◯マネジメント!決断と責任!」

草。仰々しく専門用語並べたり、楽しそーだね。
(別に安倍政権を語りたいわけではないので悪しからず。)

でね、次に「キャプテン」って打ったのよ。そしたらリーダーの記事の1/6。
最後に「エース」。こちらも1/6だけど、厳密に役割としてのエースとなると、かなり少ないみたい(競馬ネタが多く混じってたから)。

みんなリーダーになりたいんだね。

まあそりゃ偉い立場で部下をマネジメントして、プロジェクト成功の第一人者になれたらカッコいい。目指して当然だし、優れたリーダーを目指すべきだとも思う。

でも、すっごい疑問なんだけど、
何でそんな上から目線しか持たないの?
「リーダー」って、どういう意味?
「キャプテン」との違いは?
「リーダー」以外の人は?

リーダーとしてどうするべきか、なんてセミナーとかで自己啓発してる人も結構いたりするけど、「自分が上に立つ」ことを目指す時に、その前提として「チーム」としての視点を押さえないのは、一体どういうことなんだろう?
チーム(組織)って、「リーダー」と「それ以外」なんですか?


ってことで、組織形態の基本構造になる「シラス」と「ウシハク」を分けて考えてみます。

シラスってのは、「横のつながり」。バスケの選手チーム(監督は除く)とか、漫画だと麦わらの一味とか。
ウシハクってのは、「縦のつながり」。日本で1000年以上続いてる、封建的なピラミッド型の支配構造です。仮面ライダーのショッカーとか典型例。

まぁ、みなさんご存じのことと思いますが、日本は古代からず~っと縦社会で、今も上っ面は民主主義とかほざきながら、実際は封建制引きずったまんまで。よく「日本は西洋近代国家のような革命を契機としたボトムアップの成熟をできていない、国民が未成熟の非民主主義国家だ」なんて言われますよね。まぁ概ね合意します。コロナで日本国民がいかに民主主義分かってないかはっきりと露呈しましたけど。そんなメリットもあるから善し悪しは何ともいえないけど。

だから、「言葉」がないんですよ。
考えてみてください。「リーダー」「キャプテン」「エース」、ぜーんぶ外来語です。そりゃそうだよね、日本は封建社会だったから、そんな概念がなかったんだもの。あっても演劇とかからの言葉よね。
そして、あなたは「Glue-guy」を知っていますか?「Go-to-guy」の意味がわかりますか?

んで、「優れたリーダーとして~」ってひたすらリーダー論やノウハウを学ぶっていうの、要するに「ショッカーの幹部になる」ってことなんですよ。お前はあれやれ!お前はこれ!さあ、行けぇ!みたいな。それってチームとしてはいいの?くっそ弱そう。
だからさっき、「『キャプテン』との違いは?」とか色々書いてみたんですけど、「(優れた)リーダーになること」を目的にするんじゃなくて、「優れた組織を作ること」を目的に、リーダーを手段としてちゃんと相対化して考えないと、組織としては最大化できないと思います。少なくとも俺はそれを理解できてない奴にマネジメントなんかされたくはない。

考えてみれば当たり前のことで、今の時代、いかに業務を分散化して効率化するかってので、やれコンサルだソフト開発だと盛り上がって、企業もアウトソーシングしていく時代なのに、形だけ分散気取って、いつまで中央集権的思考でいるの?っていう。鎌倉時代ですよね、もはや。棟梁と武士みたいな。

って考えたら、ワンピースの麦わら一味を作った方がいいでしょ、っていう。

でもそうすると、そもそもリーダーってのが相対化されるんで、リーダーとして◯◯ができるようにならなくちゃ!!!みたいなタスクが一気に減るわけですよ。そしたら何が重要かって、「優秀な人材を集める」ってことになる。それは各分野における技術的なことは当然だけど、チームとして、パフォーマンスを最大化できる役割をこなせる人ってのが最も価値の高い存在になるわけです。リーダー目指してる人なんか、もはや何の価値もなくなっちゃう。

バスケなんかほ~んと良い例で。もちろんリーダーがいるに越したことはないけれど、例えば得点を取るエース、チームを同じ目標にフォーカスさせるキャプテンの他に、そういったスターティングファイブ(試合開始から出場する主力の5人)以外に、

・主力級の実力があるけど、あえて1歩引いていざという時にパフォーマンスを最大化するシックスマン(これは「黒子のバスケ」のお陰で有名になりましたよね)
・主力の選手をアシスト・サポートして、自分に求められる(与えられた)役割を的確にこなすロールプレイヤー (脇役、的な?)
・若い人に技術や心構えとかを示しながら、相談役にもなれるメンター(これは精神的支柱とか言うか)
・チームが苦しい時、こいつに任せればやってくれる…!っていうGo-to-guy
・普段は一人一人と信頼関係を築いて寄り添うことでチームを裏から支えながら、自分に求められている穴をいざという時に埋めてるなど、チームに一体感を生み出してマキシマイズしてくれるGlue-guy

などなど、あげたらキリがない。
これ、「バスケの世界だけでしょ?」って思えますか?少なくとも自分はロールプレイヤーもリーダーと同じくらい大切だと思いますし、役割もこなせながら、人とのコミュニケーションをきちんととることでチームのメンバーを引き付けて組織のパフォーマンスを最大化する、独特のカルチャーを生み出せるGlue-guyがいかに大切か(「縁の下の力持ち」みたいに、常に自己犠牲で表に出ないのとは、ちょっと毛色が違いますよね)。もちろん彼らは身体的な衰えが背景にあるから、苛烈な競争が行われるNBAでエースやリーダーになりたくてもなれないってのはあるけど、むしろ私たち一般社会ではそうした衰えってのは少ないわけで、ってことはリーダー的素質をもちながら、Glue-guy的な役割もこなせるわけですよ。

でも、恐らくGlue-guyなんてバスケやってる人とか観てる人じゃないと知らないと思います。少なくとも、日本語にはない。調べてみればシェーン・バティエとか出てきますよ。彼のGame7は凄かった。今のレイカーズならダドリーかな、自分はこういう人間を目指してます。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

【まとめ】


別に自分はリーダーにこだわって、リーダーについて熱く論ずる人を非難するつもりもないですし、それを聞いて学ぶ人を冷笑するつもりもないです。きっとそういった講義には何かカギになる要素があると思いますし、リーダーを目指すことってのも大切だと思います。でも、人は「リーダー」と「リーダー以外」だけじゃない。それを押さえるか否かで、組織は変わるんじゃないでしょうか。

あと、リーダーたることを求めがちな背景には、「自分は必要な人材になる」「代替不可能な、優れたリーダーになる」という安定を求める気持ちがある気がしています。だから無条件的に、「自分が上に立つことを前提に」して、リーダー論を学ぼうと考える。普通に考えたら、お前らみ~んなリーダーなんか?そんなリーダーとなる人って世の中に多いんか?笑
って、思っちゃいます。

不安定な社会においては必然的な発想かもしれませんけど、それはリーダーという価値を絶対視しすぎるがゆえの行動だと思います。今は多文化共生がテーマになる現代社会、「リーダー(≒棟梁)」のような旧来からの考えだけだなく、日本には恐らくあまりなかったであろう「役割」について、海外の文化から吸収して考えるのもアリかと(まあ、この文自体にライフハック的な要素がある時点で、悪い意味でのポストモダンな思考になってる気もしなくはないですが…)。

そして、そういうことを理解してる人を周りに置くかが、ビジネスとかに限らず、人間関係の豊かさに繋がるんじゃないでしょうか。

と、俺は信じてます。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?