はじめの文章
とてつもない憎しみと、とてつもない愛しさの間を行ったり来たりして、私は疲弊する。
見限る事ができたらどんなにいいだろうか。
それができない理由は、きっと曲がりなりにも母からの愛情を感じる事ができていたからだ。
ただ、母はその示し方を知らなさすぎたし、下手すぎた。
でもそれは最低限ではあるものの、一番大切な事であるに違いない。
もしそれがなかったら。
自分が何をしていたかと思うと恐ろしい。
数十年の月日を費やし、最近になって、ひょっとしたら母は発達障害なのではないだろうかと思うようになった。
発達障害という表現が誰かを不快にさせたら申し訳ないのだが、そうだとするとこれまでのあらゆる事に合点がいく。
この人は、なんでこんなふうなんだろう。
一体なんなんだろう、この人は。
多分私は、自分の思考や感情を言語化できるようになるずっと前の、子どもの頃からそう感じていたように思う。
発達障害の診断を受けたわけではないし、今後も母に診察を受けてもらおうとは思わない。
年齢的な理由からだ。
だから、これからここに書いていく事は私の勝手な考えであって、何の根拠もない。
ただ、公共の相談機関に相談した際には、ここは医療機関ではないので診断ができないが、母の言動は発達障害の特徴と似ていると言われた。そして、診断を受ける事はおすすめしないとも。
それなのに断定したような書き方をするのはよくないかもしれないが、ここではそのように進めていく事にしたい。
私は親が発達障害であるとはどういう事なのかが知りたくてあれこれ探したが、子どもが発達障害でその親が悩むケースばかりで、見つける事ができなかった。
そういう人はいないのだろうか。時々同じように悩む人と話したくなる。
はじめに書いたように、母は愛情の示し方を知らなさすぎたし、下手すぎた。
そして私は母のやり方では満足できる子どもではなかった。そしてある部分を歪ませてしまった。
それだけの事なのかもしれない。
実際そうだと思う。加害者もいなければ被害者もいない。
でも、私は生きづらかった。どうして私の人生はうまくいかないのだろうと感じる事ばかりだった。
もし、私が揺るぎない安心を感じながら育ってこられたとしたら。
もし、ただ話を聞いて受け止めてくれる存在が子どもの頃あったとしたら。
こんなにも長い時間を浪費せずに済んだのではないかと思わずにいられない。
人生に無駄な事はないというけど、若さと時間は取り戻せない。
今、やっと自分らしく生きられるようになったと感じているのに、それでも母に囚われている自分に気づいて愕然とする。
散々向き合ってきたのに。
何十年という時間とお金と労力を費やしてきたのに。
怒りや憎しみは解消されていなかった。
これは私がもうこれでOKと、自分に言えるまで母と向き合う記録です。
そして、その時が来るかどうかはわかりません。でも来たらいいなと思います。
時に辛辣な言葉や罵倒するような言葉を書き連ねる事があると思います。
嫌悪を感じる方は、どうかスルーしてください。
私はこれからの時間を自分のために生きるために必死なのです。
どこまで続くかわかりませんが、お付き合い頂けたら幸いです。
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