見出し画像

居場所はときに避難所になる。


さまざまな喪失に出会った。
そこには「個人」の喪失と
「集団」の喪失があると気がついた。

チャイルド・ケモ・ハウスという施設の理事長である堀内まさみさんの言葉です。俳優、調剤薬局の管理者、震災復興の支援などマルチに活動しておられます。

この講演会は西脇市でNPO「あしたあさって」の理事長をしている高橋章子さんの紹介で知りました。(私の義母です。)
わたしの看護師としての職歴は浅いものの、「子どもと関わりたい」と考えてきました。わたしも、周りの人も、生まれた人はみんな「だれかの子どもである」という事実と、「いつかはきっと大人になること」を空想でも希望でもなく日々を重ねた延長であると思っていました。でもそれが叶わない子どもがいること、「いつかきっと大人になること」を24時間願って願って願い続けている大人がいることを知ります。がんの進行まったなし、どれだけ医療技術がすすんでも太刀打ちできない難病がある。これも運命だと受け止めなければいけないのでしょうか。子どもが食欲がなくて口いっぱいに口内炎ができて食べても下痢で出ていってしまう、そんな状況で食欲がある親はいません。身体の消化器官が機能的に悪いわけではなく、心身は繋がっているから、食欲が湧かないんですよね。

チャイルド・ケモ・ハウスは「病院と家の中間的施設」であり、施設運営費のほとんどが寄付で賄われています。ご利用される家族は1日1000円で宿泊できます。(HPより参照)

人間は生きているとさまざまな喪失を経験する。大きい小さいに関わらず、長い短いに関わらない。例えば、初恋であったり受験であったり。

そしてそれぞれの悲嘆がある。どれぐらい悲しむか落ち込むか、公的な共通するものさしがないので計れないが、多かれ少なかれ悲嘆している。

堀内さんは神戸に住まいを移してから11年目に阪神淡路大震災を経験された。たくさんのご遺族のサポートをされたときに喪失と悲嘆について感じたという。

さまざまな喪失に出会った。
そこには「個人」の喪失と
「集団」の喪失があると気がついた。

震災は集団の喪失である。
あの震災がなければ、という共通の思いがある。

集団の喪失であれば話しやすい。
実は震災で娘を亡くして...
実は震災でお父さんを亡くして...

慰霊碑の話もしてくださいました。あの慰霊碑に名前を刻める人が限定されていることを知った。話をよく聞けば震災関連死にもなり得るのに、「震災がきっかけで」不調を来たし心が立ち上がれない人もいるのに、悲しい現実でした。

チャイルド・ケモ・ハウスで理事長としてハウスにてさまざまな支援をしているときに、こうも思ったという。

集まれる場所が必要だね。
震災の避難所もそうだよね。

そうだなーと深く頷きました。

我が子の病気発覚、通院、入院、治療、それはどれも紛れもない危機的状況であり、家族もまた危機的状況です。震災での、物理的に家が潰れたり雨風をしのげる場所がない、といったものとは違いますが、心は雨ざらしであり疲労困憊でとどまっていないことが奇跡なぐらいです。

"集まれる場所がいる。避難所がいる。"
小児がんや難病児とその家族をとり巻く避難所。それがチャイルド・ケモ・ハウスです。

それを自分自身でも振り返りました。
危機的状況なのは、震災や子どもの病気だけではないとおもうのです。

大切な家族の死、大事な友人・仲間の闘病、ペットの死、出産や子育てでの孤独など「心の危機的状況」は日常にあります。そんなとき、避難所があれば自分の居場所があれば救われる心はいくつもあると感じます。

今までのライフステージのなかで仲間や居場所など、ここでいう「避難所」としてきたところはいくつかありますが、大切なのは

環境面と精神面が安心安全であること

震災の避難所でいう環境面は
・津波がこない高台である
・余震が来てもものが落ちてこない
・トイレがあり食事など配給がある

などです。

子育て中の避難所でいう(子育て広場や保育園幼稚園などが当てはまるかなとおもいますが)環境面は
・転んでも痛くない(年齢に応じた)床材
・整理整頓されあぶなくないおもちゃ
・定期的に設備点検された遊具

などです。

精神面の安心安全は共通だと感じていて
・ここに居てもいいと感じる
・非難されない
・攻撃されない
・傷つけられない

居場所はいくつあってもいい。
自分が自分らしくいられる場所ならいくつあってもいい。
何人もの自分を使い分けなくてもいい。
そんな居場所が自分の住む地域にもあればいいなと思うし、自分で作ってもいいと思う。

堀内さんの講演会を通して、自分を振り返るきっかけにもなった。そしていくつか浮かぶ自分の「居場所」が、ほかの誰かにとっても「居場所」であり、ときに「避難所」としての機能もあるとしたらこんなに素晴らしいことはないなと思う。

同時に、居場所はいつまでもありつづけるわけではない。だれかの想いの上に成り立っていて、だれかの支えがあって継続し続けている。それを忘れずにいたい。
いつかチャイルド・ケモ・ハウスを訪れる家族の間接的か直接的な支援ができますように。

堀内まさみさん、この講演会を企画運営してくださったれもんの木の奥嶋さん、ありがとうございました。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?