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待つこと、祈ること。

「1%の風景」という、助産院が題材のドキュメンタリー映画。強いメッセージ性はなく、助産院のありのままの姿をありのまま撮影されているのが印象的。そして、鑑賞したときよりもすこし時間が経ってからの方が自分の中から感想が出てくる感じで、受け取り方次第でいろんなものが感じられる映画だった。

待つことが好きなのよね

渡辺助産師(1%の風景より)

例えば、仕事においても、後輩育成においても、子育てにしても「待つ」状況がたくさん出てくる。自分がやったほうが早いし、伝え方をいろいろ考えなきゃいけないし、進捗状況や完成度を見なきゃいけないし...。わたしは正直待つことが【好き<嫌い】だし【得意<苦手】です...。

私は子どもを出産するとき、本当に不思議なくらい「この子自身が今この世に出てきたいと思っている」と意思を感じた。私がいきむとか、陣痛の波とか、そうゆう次元じゃなく「今」を選んでいる、そんな体験だった。

助産師さんは待つことのプロだ。
今は医療技術の進歩もあって予定日が分かる。これくらいに産まれてくる、と分かって準備をする。陣痛が10分間隔になり、今か今かと待つ。押し出すことも引っ張り出すこともしない。赤ちゃんが産まれたい時にお手伝いをすべく、待つ。母を励まし、父にお産のサポートをサポートし、その時を待つ。映画のなかで、続々と助産師の助っ人が集まる。みんな口頭指示で動くのではなく、自分の役割を瞬時に見つけてお産をサポートする。阿吽の呼吸を体現した、そんな連携プレーだった。圧巻。かっこよかった。

そんな映画をみた翌日、高木慶子さんというシスターの講演会に出席した。イトオテルミーとの出会い、震災や事件事故や病院などでグリーフケアにあたり感じてきたこと、祈ることや愛についてお伝えいただきました。87年、ときに丁寧にときに波瀾万丈に年齢を重ねてこられたんだなーと紡ぐ言葉のひとつひとつに愛が感じられるようなひとでした。

「さあ祈りましょう」ということではない
元気になってほしいな
助かってほしいなと思うこと
これが「祈り」である

高木慶子シスター(講演会にて)

「意図的に、時間を区切って」ということではなく、日常の中に祈りが溶け込んでいる。息を吐くように、祈る。息を吸うように、愛する。自然なこと。そんな印象をもちました。

自分がしたことは関係ない
「目の前の人にどう伝わったか
どのくらい伝わったか
意図することがそのまま伝わったか」
それにしか意味はない

高木慶子シスター

その通りだとおもう。
言語化する、解像度をあげる、ということが今わたしの中でテーマなので、こうやって考えていることを言葉にしてくれる人がいること。そしてそれが、たくさんのことを経験したシスターであること。とても嬉しい日になりました。

1%の風景の映画と、シスターの講演会で共通していることがありました。

癒す人と癒される人は
互いに信頼している

癒されたい側が「助けてほしい、癒してほしい」と自分が自分がとすがっても、癒す側(ケアする側)が目の前の人を想って癒そうとしなければ効果は半減する。

逆に、癒す側(ケアする側)が必死に「助けたい、癒されてほしい」とあれもこれもと手助けしてサポートして、これでどうだ!とケアしても、相手がそれを望んでいなかったりそっぽ向いていても効果は半減する。

看護にも、家族間にも、子育てにも、テルミーにも同じことが言えるなーと感じました。向き合う、歩み寄る、寄り添う、祈る。「自分」の押しつけは控えましょう。これが心地よく日常生活を送る上で、よく生きる上で、なおかつ死に向かうわたしたちの大事なキーワードなのかもしれません。

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