1970年代の友部正人
『大阪へやって来た』(1972年リリース)
01. 大阪へやって来た
02. 酔っぱらい
03. もしもし
04. まるで正直者のように
05. 真知子ちゃんに
06. 梅雨どきのブルース
07. まちは裸ですわりこんでる
08. 公園のベンチで
記念すべきデビューアルバム。レーベルメイトの細野晴臣、松本隆、高田渡も一部楽曲に参加している。
以前友部正人のライブの曲間で言っていたのが(めちゃ曖昧な記憶なのだが)、このアルバムのレコーディング時に使用していたマーチンのギターを遠藤賢司に貸していまだに返ってきていないという話があった。遠藤賢司が亡くなる前の話だったのだけれども、このギターはどこへ行ってしまったのだろうか、友部正人のもとに戻ってきたのだろうか。
数年前にリクエスト大会で「公園のベンチで」がリクエストされて、カンニングペーパーは譜面台にあるのだが、目をつむりながら淡々と11分近いロードムービーのような歌を歌っていたのが印象的だった。
『にんじん』(1973年リリース)
01. ふーさん
02. ストライキ
03. 乾杯
04. 一本道
05. にんじん
06. トーキング自動車レースブルース
07. 長崎慕情
08. 西の空に陽が落ちて
09. 夢のカリフォルニア
10. 君が欲しい
代表曲「一本道」が収録された大名盤。「ふーさん」と出会い、「ストライキ」「乾杯」で当時の混沌とした東京が歌われ、“お調子の隙間から”高田渡の結婚を祝い、“どうして君は行ってしまうんだい どうしてぼくはさよならって言うんだい”とひとり虚しく問いかけ、君のいない東京を離れて旅をしながら「トーキング自動車レースブルース」「長崎慕情」を歌うが、最後東京に戻り「君が欲しい」と歌ってアルバムが終わる。
なんという美しいアルバムなのだろうか。『にんじん』は、ひとりの好きな女性との出会いと恋と別れを歌った物語、だと言っていたのは一昨年の夏に亡くなった西八王子アルカディアのマスターだった高木さんだった。上記のような内容では話していなかったけど(もっとロマンチックに話していた)、その話が本当かどうかはわからないし、本人からしたらまったくそんなことではない、というかもしれないが、ぼくはこの話が好きだ。
『また見つけたよ』(1973年リリース)
01. 反復
02. 公園のD51
03. なんてすっぱい雨だ
04. あれは忘れもの
05. 早いぞ早いぞ
06. 空が落ちてくる
07. 道案内
08. 密漁の夜
09. 夕暮れ
『にんじん』と同年にリリースされたアルバムで、このアルバムからソニーへ移籍をしている。
70年代という括りに拘らず、友部正人のアルバムのなかでいちばんと言っていいほど好きなアルバムだ。特に19〜20歳の頃は毎日のように聴いていた。2回目の浪人時代から大学へ入学したあたり。もうずっと聴いていた。
ファンのなかでもこのアルバムをベストに挙げる人は少なくないと思う。2003年にリリースされたデビュー30周年記念ライブ盤『あれからどのくらい』に収録されている「公園のD51」がたまらなくいい。30年経っているので、いい感じに丸くなったやさしい歌声で歌われているのだが、その歌声で歌われる初期の歌詞とのアンバランスさがたまらなくいいのだ。
『誰もぼくの絵を描けないだろう』(1974年リリース)
01. 誰もぼくの絵を描けないだろう
02. 長いうで
03. お日様がおっことしたものはコールタールの黒
04. バークレー散歩
05. おしゃべりなカラス
06. 金もないが悩みもない
07. 悦子
08. ひとり部屋に居て
09. サキソフォン
10. ぼくは海になんてなりたくない
11. あいてるドアから失礼しますよ
坂本龍一がはじめてレコーディングに参加したということでも知られる4枚目のアルバム。新宿ゴールデン街で意気投合してレコーディングに参加したというのは本当なのだろうかと思っている。本当なんだろうけども、お話しとして美しすぎる。ぼくも新宿ゴールデン街で意気投合したい。
肝心の名前を忘れてしまったが、アルバムじたいを誰かに元々プロデュースされる予定だった話がなくなってふらついてるときに坂本龍一と出会った流れだったはずだ。誰だったかな…出典元も忘れてしまった。
このアルバムも浪人しているときに購入した。友部正人のアルバム全般的に言えることだけれども、レコード屋さんで上記の収録曲を眺めてどんな曲なんだろうと想像するだけで聴かずとも楽しめた。帰りの電車のなかでずっと夢想していた。「おしゃべりなカラス」ってなんだ!「バークレー散歩」ってどんな物語なの!「あいてるドアから失礼しますよ」ってなに!といった具合に。
『どうして旅に出なかったんだ』(1976年リリース)
01. どうして旅に出なかったんだ
02. びっこのポーの最後
03. 君のからだはまるで
04. はじめぼくはひとりだった
05. ある日ぼくらはおいしそうなおかしを見つけた
06. ヘマな奴
07. フーテンのノリ
08. ぼくのこと君にはどう見えるのか
09. ユミはねているよ
『1976』
01. フーテンのノリ
02. ある日ぼくらはおいしそうなおかしを見つけた
03. ぼくのこと君にはどう見えるのか
04. ユミはねているよ
05. はじめぼくはひとりだった
06. 君のからだはまるで
07. どうして旅に出なかったんだ
08. びっこのポーの最後
『1976』(CD)
01. もうずっと長い間
02. どうして旅に出なかったんだ
03. 君のからだはまるで
04. はじめぼくはひとりだった
05. ある日ぼくらはおいしそうなおかしを見つけた
06. ヘマな奴
07. フーテンのノリ
08. ぼくのこと君にはどう見えるのか
09. ユミはねているよ
10. びっこのポーの最後
SKY DOG BLUES BANDががっつり全編を通してサポートとして参加しているソニー三部作の最後となるアルバム。『どうして旅に出なかったんだ』がレコ倫に引っ掛かり回収盤となって市場からなくなった形でソニーとの契約が終わってしまう。
その後、奥さんでありマネージャーのユミさん(「ユミはねているよ」のユミさん!)が中心となって自主制作盤という形で1981年に『1976』と改題して再度リリースされる。この話は以前ライブの曲間で、マスターテープが行方不明でソニーに残っておらず(なんともずさんな管理…!)、知り合いの家にあったほぼ針を落としていない『どうして旅に出なかったんだ』をマスターのかわりにした、という話をしていた。この自主制作盤をリリースするにあたって、伊藤銀次を中心に「びっこのポーの最後」を再度レコーディングしている。YouTubeのコメント欄かなにかで、アルバムにはノンクレジットだけどアウトロのオルガンを弾いているのは佐野元春なのでは?!とかなんとかいうことが書かれていた。それはないだろうけども、そういうお話しは好きだ。そうだったらおもしろい!
そして、1990年に初CD化された際に未発表曲「もうずっと長い間」を追加収録してリリースしている。追加収録曲をアルバムの頭に持ってきて、SKY DOG BLUES BANDと14年振りに再集結して新録した「びっこのポーの最後」をアルバムの最後に持ってきている。どちらも1990年に新録した曲で『どうして旅に出なかったんだ』をサンドイッチしている。友部正人がずっと前に向かって歌っていることをあらわしている、ような気がする。
そう、このアルバムがリリースされる度に「びっこのポーの最後」を新しくレコーディングし直している。この曲以外にもレコ倫に触れそうな言葉を使った曲はあるのだが、やはり友部正人のなかでこの曲に対する思いがあるのだろう。
近年のライブで友部正人が曲間で言っていたのは、レコーディングをはじめたときには「どうして旅に出なかったんだ」は生まれてなくて、いちばん最後にレコーディングされた曲だった、という。そこまで好きな曲ではなかったが、最近になって若い子がこの曲を聴いてライブを観に来てくれることが多くなった、と言っていた。
というわけで、【1970年代の友部正人】は以上です。
次回は【1980年代の友部正人】です。
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