見出し画像

なんにもない日

今日も在宅勤務だった。21:00頃にパソコンをとじた。

今日はなんにもなかった。新しい発見や疑問は生まれなかったし、忘れてしまった約束を思い出すこともなかったし、日中ずっと部屋にいたから外の空気がどんなだっかもわからなかった。

今日という日はぼくにとってなんだったのか、と言ったら、2021年6月2日だった、という他なくて、ここに書かなければ、いや書いたとて、2021年6月2日がどんな日だったのかなんてことはこの先思い出すこともないだろう。
人生は漫画やドラマなんかではないので、1日毎に伏線を張っている場合ではない、そんな暇はあるようでないし、大抵のことはうまくいかないし、うまくいったとしてもいいこともわるいこともいろいろと忘れてしまう。2017年12月8日のことや、2020年8月19日のことなんていまパッと思い出すことなんてできない。今日が今後の人生でどこかで効いてくるようななにかがあっても、それに気づくことなく過ぎていってしまいそうだ。

人生は、とだいぶ風呂敷を広げてしまって恥ずかしい、プププなに「人生」とか言っちゃってるの寒い奴ぅプププ、という失笑や陰口が聞こえてくる。やめてほしい。今はまだ人生を語らず、だ。
仮にこの日記が劇場版となって全国ロードショーとなったとしても、今日の日は丸々カットされるだろうと踏んでいる、けれども大丈夫、劇場版になるような日は訪れることはないのだから、安心してなんにもなかったということを好きなだけ書けばいいだけの話だ。いや寧ろ、劇場版になるとすれば今日のような日を取り上げてほしい。こういう日こそおもしろく描いて頂きたい。楽しみだな、劇場版。

何を言っているのかよくわからないことになってしまったけど、それくらいなんにもなかった。本も読んでいないし、ラジオやレコードも聴いていない。なんにもなかった日だ。

今週末は、また楽しいことがいくつか控えている。その楽しいことを待っているあいだに、そのことを考えたり想像したりして、実際にはまだ楽しいことがなにひとつとして起こっていないのに、その期待感だけでなんにもない日を乗り越えることができる。
想像力というものが装備されていてよかった。それによってダメージを喰らうこともしばしばあるけれども。

明日も曇天らしい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?